ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』

ポケットは80年代がいっぱい

ポケットは80年代がいっぱい

83年に解散(散開)したYMOが90年代に再結成(再生)した際、〈ポケットが虹でいっぱい〉(エルヴィス・プレスリーのカヴァー)というシングルを発売したasin:B000064UNL。『ポケットは80年代がいっぱい』という香山の80年代回想録の書名は、同曲のもじりだろう。
再結成時のYMOは諸般の事情から、「YMO」という文字の上に「×」のマークを重ねた表記を使っていた。また、周囲がノスタルジーとして期待したテクノ・ポップではなく、アンビエント・テクノ寄りの音楽を演奏し、かつてのファンを困惑させた。
――だが、そのような屈折は『ポケットは80年代がいっぱい』にはない。「遊」、「HEAVEN」、「Fools’ Mate」など、当時の香山が経験し、見聞きしたアングラ/サブカル雑誌周辺の編集者、ミュージシャンの世界が素直に綴られていく。
この本に出てくるような雑誌を、僕もしばしば読んでいたけれど(「遊」の仏教特集に、水ごりする若い僧のチンポが写り込んでいたことは覚えている)、まるで業界通ではないので、へえ、そういう人脈、人間関係だったんですか、と今さら知ったことも多くて面白かった。


香山は、(斎藤綾子『愛より速く』をもじって)「バブルより速く」と題した本書のあとがきにおいて、80年代論の多く(原宏之『バブル文化論』asin:4766412869村田晃嗣『プレイバック1980年代』asin:4166605399など)が、プラザ合意後の80年代後半(=バブル景気の時代)を主題にしてきたと述べる。これらに対し、香山は、バブル以前の80年代前半文化を『ポケットが〜』に記録したと語っている。
80年代の前半と後半の文化的差異という観点は、自分にもよく理解できる。ただ、同書収録の関連年表がYMOデビューの78年から始まっているように、音楽にしても雑誌にしても、80年代前半の文化は実際には70年代後半から始まったものが多い。
僕は、テクノ(・ポップ、エレ・ポップ)、ニュー・ウェイヴなど80年代のものと言われがちな事象に関して、雑誌などではなるべく「70年代末から」と書くようにしている。そう区切ったほうが正確であるだけでなく、とらえやすいと感じるのは、ニュー・ウェイヴがポスト・パンクとほぼ同義語で、70年代のものだったパンクとの距離感、近接性を表すには「70年代末から」と書いたほうがいいという、音楽ライターとしての判断がある。その感覚がカルチャー全般をふり返る場合にも適用されて、ものを考える時、「70年代末」に区切りがあったととらえるくせがついている。


ちなみに、自分は以前、『YMOコンプレックス』asin:4582831753という、ある種のテクノ文化論を出版したことがあった。執筆時には、YMO=80年代という固定観念を崩したいという意識があって、「70年代末から」というフレームを基本にして考えた。そのうえで、テクノ的な方法論が浮上する助走期間として60年代あたりから視野におさめ、以後の展開を90年代、ゼロ年代まで追う内容にした。テクノ(・ポップ)=80年代の等式イメージを相対化し、解体したうえで、テクノの可能性を探ることを目指したのである。
だが、YMO=80年代と信じきっている人には、他の時代と接続した話など不純物だ、勘違いだと思われたらしく、コンセプトはあまり理解してもらえなかった。80年代にスキゾ・キッズを気どっていた人々は、どこに行ったのか。パラノな反応ばかりであることに、げんなりしたものだ。


そういえば、香山は本書の中沢との対談で次のように発言している。

あの頃って、主体などないとか、主体も他者にすぎなくて、構成されているものなんだとか、さんざん言われてたじゃないですか。私なんかはそれを真に受けて、ああ、そうなんだと思っていたのに、そのあとになって急に「自分探し」とかが流行って、一気にみんながそっちの方向に行ってしまったでしょう。じゃあ、あれはいったいなんだったのか、って……。

(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20080307#p1