25日に青山ブックセンターで、『文学賞メッタ斬り!2008年版 たいへんよくできました編』asin:4891947748刊行記念 大森望・豊崎由美×市川真人(+前田塁) トークショウ「メッタ斬り!をメッタ斬り?」を見てきた。
前田塁『小説の設計図(メカニクス)』に関しては、発売直後に読んでいたのだった。遅ればせながら、感想を雑記。
この本では(西原理恵子もとりあげられているが)、川上弘美、小川洋子、松浦理英子など、主に純文学系作家の小説が論じられている。だが、同書には、ミステリ評論を読むのに似た感触がある。
二人称小説について論じた多和田葉子の章で法月綸太郎『二の悲劇』が引用されているから――というだけではない。前田塁は本書で、小説内における記述や記憶の信憑性を問うている。また、取り上げられる小説のなかには、人物の入れ替わりを扱ったものまである。このため、小説の内容を検討する前田のしぐさは、どこか事件報告の内容を吟味する探偵に似ており、前田自身もそれを意識した節がある。
例えば、松浦理英子『犬身』に触れた部分。
だが、素人探偵ならぬ素人動物捕獲係たる私(たち)がいま手がけるべきは、ただひとつ、フサはどこでどうしているのか、という捜索願に他ならない。
著者である「私」は論じる過程で、「探偵」「捜索」という言葉を思い浮かべてしまうほど、ミステリ的なノリにおかされている。『小説の設計図』は記述や記憶の確かさの検討を重要テーマにしていた点で、批評対象はまるで違うというのに、千街晶之のミステリ評論『水面の星座 水底の宝石』asin:433497421Xを僕に思い出させた。
これはある意味で、当たり前だ。“読み”の自由や可能性(いい意味での“誤読”)を目指した『小説の設計図』は、蓮實重彦(や柄谷行人)の影響が濃厚である。前田塁は、蓮實の『小説から遠く離れて』asin:4309404316にも言及していた。
『小説から遠く離れて』では、双子的関係の二人組が宝探しに出かけるという昔ながらの“紋切型の物語”をなぞっただけの小説を批判し、なぞりつつも逸脱した小説を称揚していた。蓮實のこうした価値観は、80年代に流行ったポストモダン系小説論の典型だったわけだが、双子的関係の二人組が宝探しに出かける“紋切型の物語”の代表が、名探偵(ホームズ)と助手(ワトスン)が犯人および真相を探すミステリ小説だった。
で、“紋切型の物語”を批判し、そこからの逸脱を称揚するポストモダン系小説論は、どんな“戦略”をとっていたか。ミステリをなぞるかのごとく、いったんは小説の真相(深層)を探すようなふりをするが、そこからあえて逸脱してみせる――そんな論じかたをしたのだった。
ゆえに、必然的にポストモダン系小説論はミステリ自体やミステリ評論に似ていたし、『小説の設計図』も遺伝子を引き継いでいる。
前田塁によるアクロバティックな“読み”の展開は、なかなかスリリング。もちろん、一つの正しい真実にたどり着く古典的なミステリからはほど遠いが、真相からはぐらかされ続けるメタミステリに近い酔いが味わえた。
- 29日夜の献立
- 鶏の照り焼き風(こしょう、しょうゆ、酒、みりん、にんにく、しょうが。オーブンで。盛り付けにはサニーレタスをしいて)
- ひじき入りきんぴらごぼうにすりごま
- 小松菜、切干大根、ふのりの味噌汁
- 玄米ごはん