ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

石上三登志『名探偵たちのユートピア』(と島田荘司)

名探偵たちのユートピア (キイ・ライブラリー)
「黄金期・探偵小説の役割」と副題のあるこの本は、むしろ、いわゆる“本格ミステリ黄金期”を最上とみなす価値観からズレたところにあえて視点を設定し、古典的作品の読み直しを図る姿勢が面白い。
最初の章では、まずホームズについて考察しており、後の章でもたびたびこの歴史的名探偵への言及が出てくる。石上は「1 緋色と赤の距離」と題された章で、コナン・ドイルが二部構成で創作した『緋色の研究』の第二部が「西部小説(ウエスタン)」になっていたと指摘したうえで、「西部小説」の後継者としてのハードボイルド・ミステリへと話を進めていく。石上は、章をこう締めくくる。

そう……それほどに、アーサー・コナン・ドイルの『緋色の研究』とダシール・ハメットの『血の(赤い)収穫』は、つまり「緋色」と「赤」は、「現実」の「犯罪」と向き合うという姿勢では、近距離にあったのだ……。

ここでは、黄金期以前の価値観を代表するホームズと、黄金期以後の価値観であるハードボイルド・ミステリの親近性が語られている(ハメットは時代的には黄金期の作家だが、価値観の変遷としては〔本格ミステリ黄金期 → ハードボイルド〕と認識されているのが一般的な“ミステリ史”だ)。
一方、石上は本書の後半(「14 横溝正史の不思議な生活」の章)において、黄金期を代表する作家の一人、ヴァン・ダインの輸入のされ方について、日本のミステリ史を批判的に振り返る。ホームズ後に英米で数々現れた名探偵ものの短編にあたるのが、日本では捕物帳だったと述べてから、こう書くのだ。

実にこの国の探偵小説界は、そういうことをきっちり継承していなかったくせに、長編的な「成熟」期の、とりわけヴァン・ダインなんかに突然うつつを抜かしたから、ヘンになっちゃったんじゃないですか。「論理」がどうの「謎とき」のフェアプレイがこうのという前に、「犯罪」に、そしてそこにある「謎」に、果敢に挑んでゆくという、「理知」のキャラクターの、その存在感とか役割論とかから、まず入るべきだったんですよね。

このように、石上三登志が『名探偵たちのユートピア』で行ったミステリ史観の見直しは、最近の島田荘司の論調と(偶然だろうが)重なるところがある。
島田は昨年、「月刊・島田荘司」と銘打って毎月、本を刊行した際、「ポー、ドイルへの帰還」を1つのテーマにあげていた。『2007本格ミステリ・ベスト10』ASIN:4562040475で島田は、それに関連して「マーロウこそはホームズの息子です」と語り、シャーロック・ホームズフィリップ・マーロウ(ハードボイルド)/コナン・ドイルレイモンド・チャンドラーの系譜を強調した。
島田曰く。

またホームズ的な人物は、映画にとっても決して悪くなかったんです。ホームズの息子マーロウは、映画となじまない存在ではなかった。むしろ映画向きです。しかしヒーローを書斎の虫にしてしまったヴァン・ダイン以降の系譜が、ハリウッドとの相性を悪くして、ミステリーの息の根を止めたとも言える。

このように語りつつ、島田は現在の国内本格ミステリヴァン・ダインに呪縛されていると指摘し、離脱の道もあるのではないかと、別の選択肢の存在にも注意を促そうとする。
そういえば、上記に引用した島田発言と呼応するかのように、石上の『名探偵たちのユートピア』でも、ミステリ小説と映画界の距離が、考察の一つの軸になっていた。
本格ミステリ”をめぐってあれこれ論争が起きた時期に、石上、島田が同時多発的に本格黄金期以前/以後、ホームズ〜ハードボイルドに着目した考察を展開していることは、興味深い。

  • 23日夜の献立
    • なべ(鶏肉、白菜、長ネギ、しいたけ、えのき、豆腐。ごまなべスープの素。最後にうどん)
    • ビール、雑酒、チューハイ