ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

千野帽子@ワセブン

(“評論”レヴュー/“レヴュー”評論 7)
昨日に続き、昨年末に刊行された本をめぐる話。なぜこの時期になってアップするかといえば、私は年明けすぐにインフルエンザでダウンしてしまい、ようやく書けるようになったのが今だから。

↑には、昨年10月に開催された「早稲田文学」主催の10時間連続シンポジウム「小説・批評・メディアの現在と未来をめぐって」の模様が採録されている。そのうち、「ポッド4 読者と小説 批評と書評、文学賞」で、千野帽子が次のように発言していた。

 わたしは探偵小説研究会というところに所属していまして、あの団体も当初は「ちゃんと批評をやろうよ」っていう話だったらしいんだけど、現状ほとんどの会員はミステリというジャンルに奉仕させられています。(略)
 わたしはもう、ミステリの仕事は来なくなってもかまわないからいいますけど、別にわたしたちがズルしているとか、書評家が美辞麗句を並べて「売らんかな」的なことを書いてるとはいわない。いわないけど、それを推奨されるような枠での仕事ばかり来るのは事実です。それが嫌でした。純文学でもそうですけど、ジャンルに奉仕させられるベルトコンベアがまわっているから、その状況をすり抜けるために「思想地図」とか、「PLANETS」とか、「en-taxi」とか、批評家主導で独自のメディアが立ち上がってくることはあると思います。

掲載された彼の発言には、編集された部分がある。当日、会場にいた人は知っているが、探偵小説研究会は奉仕させられている云々の後にステージ上の千野は、「そうですよね、円堂都司昭さん!」と客席後方にいた私に向かって呼びかけたのだった。女子プロレス対抗戦華やかなりし頃のデンジャラス・クイーン北斗晶を思い出させるマイク・パフォーマンスであった。しかし、マイクも持たされぬまま即答を急かされた私は、反射神経がよろしくなくて、「一言ではいえない」と生声で返しただけだった。嗚呼。それから私にマイクが回ってくることもなかったし、そのままになったのだが、あの時一言ではいえなかった感覚を、あらためて雑記しておこうか。


商業的な要請、プレッシャーのなかで、いろいろ調整しながら文筆業を営むことは、ただの「仕事」だ。「仕事する」ことを「奉仕させられている」といいかえるレトリックは、いくらでも可能だが、そのように拘束感を強調することは、次のような反応を招くばかりだろう。
筑波批評社[何故この人はそんなにつまらなそうに文章を書いているのだろう] http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20081110/1226301542
例えば、探偵小説研究会著『ニアミステリのすすめ』asin:4562041625の出版企画について、会を代表して版元と最初に話をしたのは私だ。同書は、「ミステリ」と銘打たれた企画であるからジャンルの「推奨」という面はあるし、内容は評論集であるけれど、商品として売りやすいようにブックガイド的なニュアンスも出しましょうかという打ち合わせもした。それを「奉仕させられている」と表現することもできるし、千野が「嫌でした」という類のことではあるだろう。しかし、『ニアミステリのすすめ』には千野の文章も収録されているわけだから、版元との間に入って調整役をした私は、千野に奉仕させられたともいえるwww
商業的な要請と書きたいことの調整をするのは、自分にとっては「仕事」のうちだし、それを楽しもうとするだけだ。この雑記帖を読んでいる人なら知っているが、自分は、小説や音楽など複数領域にまたがって文筆業を営んでいる。で、ミステリについて書く時には、ジャンルの伝統に沿って考察するよりも、他領域との対比で論じるほうが自分の基本スタイルになっている。逆に、音楽について書く時、小説などを引き合いに出すことも少なくない。なんというか、編集者が丸い土俵を想定して原稿依頼をしてきた時に、土俵を四角や三角に変形して書くようなやりかただ。また、この土俵で書けなければ、別の土俵を探すなり作るなりすればいい、という風にも動いている。そんな私に、特定ジャンルに奉仕させられている感覚はない。
また、探偵小説研究会にとっては、同人誌「CRITICA」の発行が、「思想地図」、「PLANETS」、「en-taxi」にあたる意味を持っていたのだから、千野がそれに触れないのはアンフェアだろう(会が、同人誌をどこまで有効に使えているかは別問題として)。他の探偵小説研究会メンバーがどう考えているかは知らん。千野の発言にいいたいことがあるなら、なんか反応すればいい。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20081018#p1


もう一つ戸惑ったのは、千野に「そうですよね」といわれる図式そのものである。
千野帽子の芸風は、簡単にいうとノリツッコミ、ノラセツッコミである。彼のデビュー作『文蓺ガーリッシュ』asin:4309017851には「素敵な本に選ばれたくて。」とサブタイトルがつけられていた。読書好きにとっては、素敵な本に選ばれることの幸福やナルシシズムを誘うフレーズだが、千野の実際に書く内容はむしろ、素敵な本に選ばれたつもりになって自分だけうっとりしてんじゃないよ、ペシッ――というもの。ノラセたうえでツッコむのだ。
また、「少年探偵団is dead.赤毛のアン is dead.」(『文學少女の友』asin:4791763211所収)~「誰が少年探偵団を殺そうと。」(「ミステリマガジン」連載中)のように、ジャンル共同体批判、「ボクら派」的な身内意識批判を、千野はテーマの一つにしている。彼は、探偵小説研究会本格ミステリ作家クラブに参加し、いったんジャンルの枠組みにノッてみせたうえでツッコミを入れる。
そもそも、ふり返れば彼の出発点である「文藝ガーリッシュ」という擬似ジャンルというかコンセプトというかは、まずミクシィでコミュニティ(=共同体)を立ち上げるところからスタートしていた。そのうえで、共同体に選ばれたつもりになってうっとりし始めた参加メンバーに対し、管理人としてペシッとやったりしていたのだ。ずっと一貫している。
とはいえ、ノリツッコミ/ノラセツッコミは、それ自体で出来上がっている芸である。昔、ツービート時代のビートたけしは、漫才の形式はとっていたものの、実質的には彼一人で完結した漫談だった。隣にいた相方のビートきよしは、ツッコミというより、ただうなずくしかなかった。それに似て自分は、千野から「そうですよね」と言われると、ビートたけしの脇でうなずくしかない立場に追い込まれるビートきよしの気分になるのだった……。


ミステリのジャンル批判を繰り返す千野に対し、本格ミステリ作家クラブから退会させてしまえ、と思っているクラブ員がいることは知っている。それに対し、ミステリにとって彼は意味のある人材だと考えているクラブ員が少なからずいることも知っている。
千野は、ミステリとはミステリという枠組みのなかでののみ驚きを求めるジャンルであり、真の驚きは望まれていないと批判する。それは絶妙な指摘である。と同時に、いったん枠組みを認めた後に意外性がやってくるというミステリの構図は、ノリ−ツッコミ/ノラセ−ツッコミという千野の書きぶりと相似形といえる。だから、千野の論述スタイルは意外にミステリと相性がいいのだし、ジャンル内に彼を有能な人材だと認める人が出てくるのも当然だ。本人にとっては心外かもしれないが。私も、いろいろな意味で注目している。
(それにしても、千野まで笠井潔と同じく、ベルトコンベアを喩えに持ち出している。なんだかな)


さらに加えて、千野の呼びかけで思ったことがある。「探偵小説研究会はジャンルに奉仕させられている」というフレーズを聞いた瞬間、私が思い浮かべたことは、実は、「させられている」もなにも、「探偵小説研究会はたいしたことをしていない」というものだった……。
探偵小説研究会は現在、名目上の会員数に対し、残念ながら、実際に執筆を活発に行っている人数が少ない。稼働率が低い。同会は、今はない創元推理評論賞の受賞者、佳作入選者を中心に結成されたが、賞をとった後、だんだん執筆が先細りになっているメンバーがけっこういる。精力的に書いている人と書いていない人の差が大きく開いているのだ。
大半のメンバーは本職の仕事を持ったうえでの執筆であり、年齢が上がるにつれ、なかなか時間がとれない状況になっている、ということは承知している。しかし、身内の諸事情など抱えながらもなんとかかんとか文筆業を営んでいる自分としては、執筆できる環境を作るのも自己責任のうちだととらえているし、執筆しないメンバーは自分とは縁遠い人間だと考えている。
創元推理評論賞入選者たちのそんな状況をみていたので、ゼロアカ道場(今、どうなってるの?)には興味を持った。賞に入選してその後どうなるのか、ではなく、最終選考までにいくつも事前の予選関門を設け、それによって批評シーンを活性化しようとする。そういう逆転の発想を面白く思った。すでに別の賞に入選した経験のある人間があらためてゼロアカ道場に参加し、恥をかきつつさらなるステップアップを狙ったということも、創元推理評論賞に入選するだけ入選して後はフェイドアウトしていくばかりという人間を近くでみてきた身としては、いろいろ感じるところがあった。もし、自著『「謎」の解像度』の書籍化の話が進んでいなかったら、私もゼロアカ道場に応募して“ざもすき”化していたかもしれない、なんて想像してみたこともある(笑)。
私としては「円堂都司昭」は探偵小説研究会員だけど「遠藤利明」はそうではないというところもある。また、いうまでもないことだが、会員である以前に一人の独立した文筆業者であるし、時間は限られているのだから、まず自分の執筆に力を注いでいく。そして、今後は企画次第で研究会にかかわっていく考えだ。