ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

ジェロ《カバーズ》

演歌歌手として売り出されたジェロの最初のシングル〈海雪〉は、演歌プロパーではない宇崎竜童の作曲だった。
竜童はかつて、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドをやっていた頃、ROCKになりきれない自分たちの日本人的ロックを“カタカナ演歌”と称していた。一方、黒人歌手のジェロは、演歌について「日本のブルース」だと語っている。つまり、彼にとって演歌は“ひらがなBLUES”なのであり、竜童とジェロは表と裏のような関係といえる。
その点、そこはかとなくR&Bテイストを盛り込んだ〈海雪〉は、“カタカナ演歌”、“ひらがなBLUES”をよく表現した曲だったといえる。
ゼロ年代に入って、EGO―WRAPPIN’以後というか、クラブ・カルチャーやロックのフィルターを通して昭和歌謡テイストを再評価する流れがあった。それは、いってみれば“カタカナ演歌”的な感性の刷新だったのであり、ジェロの路線をそっち方向に持っていく選択肢はあったと思う。しかし、彼の初のアルバム《カバーズ》は、そのような内容にはなっていない。
カバーズ
タイトル通り、昭和の曲をいろいろカバーしているが、〈さらば恋人〉など演歌以外のポップスも歌っているうえ、とりあげた演歌にしてもド演歌ではない。また、ブラック・ミュージック的な要素もさほど多くない。演歌的、ブルース的な情念は希釈され、ごくライト感覚な、万人向けの歌謡曲集になっている。
氷雨〉のサンタナ風ギター、〈夜空〉のドゥービー・ブラザーズ風アレンジ、〈釜山港へ帰れ〉におけるマーティ・フリードマンのメタル・ギター弾きまくりなど、ジェロのキャラクターにあわせた音楽面でのハイブリッド性の演出は、一応ある。
しかし、実際にはこのアルバムは、あたりさわりのないストリングスの響きを筆頭に、平均的歌謡曲アレンジのほうが優先されている。せっかく導入されたハイブリッドな要素も、穏当なアレンジの枠から突出しないよう、慎重に配慮されているのだ。〈君恋し〉に参加したSOIL&“PIMP”SESSIONSですら普段のロック的な爆裂ぶりとは異なり、行儀のいい落ち着いたジャズを演奏している。
《カバーズ》は、新しもの・変わりもの好きと、従来からの演歌ファンの両方をターゲットにしているが、アレンジの全体的質感をみると、かなり後者を重視している。


そこで気になるのは、演歌の選曲。
氷雨〉、〈君恋し〉、〈夜空〉、〈釜山港へ帰れ〉。全7曲中4曲が、いわゆる演歌の範疇にある曲である。だが、いずれも、コッテリしたこぶし回しや、深いタメや間を必要としない、サラッとしたタイプの曲である。
また、〈君恋し〉は二村定一(1928年)がヒットさせた後、フランク永井(1961年)が魅惑の低音でリバイバル・ヒットさせた曲。さらに、〈氷雨〉は80年代はじめに佳山明生の再発売盤と日野美歌ヴァージョンがともにヒットしたのだし、〈釜山港へ帰れ〉は韓国人歌手チョー・ヨンピルが日本でもヒットさせたほか渥美二郎ヴァージョンがよく売れた。このように、声の高低、男女の性別、国籍を越えて歌われた汎用性の高い楽曲が、《カバーズ》では多くチョイスされているのだ。
一方、演歌というジャンルをふり返った場合、70年代後半から80年代は変質の時代だった。カラオケという娯楽がスナックなど酒場から一般化したのがこの頃であり、最初に歌われたジャンルが演歌だった。それに応じて演歌という商売は、プロが歌を聞かせるものから、素人が歌うためのガイド・ヴォーカル的な商品へと変質したのであり、〈氷雨〉や〈釜山港へ帰れ〉は、そんな時代の誰でも歌いやすいヒット曲だった。
そして、演歌カラオケ時代を代表するスターが、五木ひろしだったのである。〈おまえとふたり〉、〈倖せさがして〉、〈ふたりの夜明け〉といった声量もいらなければ広い声域もいらない、口先だけで素人も容易に歌える彼のこの時代のヒット曲は、演歌の変質を象徴するものだった。
それらの曲とは異なり、《カバーズ》でジェロが歌っている〈夜空〉は、五木ひろしがまだカラオケ市場対応になる以前の73年のヒット作。プロ歌手らしいドラマチックな盛り上がりがあり、彼の初期の名曲といえる。とはいえ、五木ひろしのライバルと見られていた森進一、八代亜紀がそれぞれ異形の声質で独自性を誇示していたのに比べれば、五木の歌唱法は初期からごく穏当なものだったし、後にカラオケ対応歌手になってしまったことも、今考えればよく納得できる。


今回の《カバーズ》においてジェロの歌唱のベストを選ぶならば、〈氷雨〉、〈夜空〉あたりになる。特異なキャラクターであるはずのジェロが、なぜかカラオケ的な凡庸性とよく適合しているのだ。早い話が、ただのカラオケの上手い兄ちゃんに聞こえてしまうところがある。
このことに、とても複雑な思いがする。ジェロをキワモノの一発屋に終わらせず、一歌手として世間に認知させたい。そんな狙いからすれば、初のアルバムである《カバーズ》の一般性は正解なのだろう。しかし、僕としては、せっかくの素材なのだから、彼には“カタカナ演歌”、“ひらがなBLUES”の線でもっとジャンル横断的で冒険的なことを、情念どっぷりでやってもらいたい思いがある。これではものたらない。次作に期待します。

カラオケ化する世界

カラオケ化する世界

各国のカラオケ事情の違いについて書いた、なかなか面白い本↑