(追悼・赤塚不二夫)
80年代のニューアカ・ブームの頃、浅田彰などが編集する「GS たのしい知識」という雑誌があった。その第2号(1984年)に、中森明夫が「あまりにも『おそ松くん』な現在思想(ニューアカデミズム)」と題したエッセイを寄せていた。
これは、当時の思想界のスターを赤塚不二夫のマンガのキャラに見立てたもの。蓮實重彦=イヤミ、浅田彰=チビ太、中沢新一=ハタ坊、当時の若手批評家たち=全部まとめて六つ子−−といったぐあいだった。これは、外部から「お前らはマンガだ」とツッコミを入れたものだった。
一方、自分たちの活動ぶりをニコニコ動画などにアップしている今のゼロアカ道場生は、人からいわれる前に自ら進んでマンガを演じているみたいな印象である。自分が笑いの対象になることにためらいがないというか(批評自体のクオリティとは、またべつの話である)。
http://www.nicovideo.jp/mylist/8019445
チャレンジャーが次々に登場して採点されるという東浩紀のゼロアカ道場の光景は、「爆笑レッドカーペット」を連想させる。しかし、チャレンジャーが自分でネタを選べず、困難な課題を与えられる点は、「ザ・イロモネア」に近い。いずれにしろ、「M-1」グランプリのごとき正統的な選考会とは違っている。で、「お前、無茶するなぁ」というキャラがいるあたり、深夜放送の「あらびき団」ではないかという説もある。
そして、現在の批評界をお笑いに喩えた場合、『ゼロ年代の想像力』の著者近影などに使われている宇野常寛の写真ははずせない。2ちゃんねるでも指摘されていた通り、あの、ちょっと気どった感じで顔を斜めにしている写真は、狙ったとしか思えないほど土田晃之に似ている。宇野の評論といえば罵倒芸だが、土田も「アメトーク」などのひな壇ではペナルティのワッキーを攻撃するのが定番になっていて芸風が近い。いや、攻撃対象の多さでいえば、宇野は有吉弘之か。「このおしゃべりクソめがねが!」とか。
一方、ゼロアカの道場主・東浩紀は、「踊る!さんま御殿!!」で出演者の相手をする明石家さんまのように、いろいろな場において、若手批評家や批評家志望者の話をマメにひろってあげる優しさを示す。また、スタッフなのに目立つ存在である太田克史編集長は、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」のヘイポーだろうか。
となると、「早文」10時間シンポの意味が見えてくる。フジテレビの「27時間テレビ」を意識して、東浩紀が長時間しゃべり続けることによって“批評界の明石家さんま”の地位を確固としたものにしようとする野望なのだ。どうだ、間違いあるまい。
(←ゼロアカ特集掲載)
- 最近自分が書いたもの
- 「お笑い番組の終着駅」(「あらびき団」に関するコラム) → 「ROCIN’ON JAPAN」11月号
- 「女性ロッカーの時代 “男まさり”から自然体へ移行するまでの、過渡期ならではの自分探し」/「Late 80’s 勝手に流行語大賞 24時間戦えどワンレンボディコンにアッシー扱い、嗚呼バブルも弾けて」 → 「別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評」 56 JUN SKY WALKER(S)と青春ロック80’sの大逆襲!