私が書いた『ゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー』(2011年)は2000年代の批評のガイドブックであり、本の締めくくりで東浩紀たちによる2010年の合同会社コンテクチュアズ(ゲンロンの前身)設立と「思想地図β」創刊について触れていた。それだけに東がゲンロンの立ち上げからいくつもの挫折を経て今に至るまでの歩みを語った『ゲンロン戦記』は興味深く読んだ。
かつて『バンド臨終図巻』に原稿書く時に参照した本の数々を思い出した。クリエイティブな活動の裏で起きていたスタッフの金の使いこみ、派手さを求めての杜撰なコスト計算、分派活動、頻繁なメンバー交代、ハラスメント問題……。
バンドのヒストリー本でよくみかける展開が多い(酒は出てきてもドラッグが出てこない点は違うけど)。副題に「「知の観客」をつくる」とある通り、観客動員数についてどう考えるかがテーマとなるうえ、いったん解散するつもりになってもなおしぶとく続けるあたりもバンドっぽい。
ぼくは「仲間」を集めたかったんですね
「仲間」を集めるという発想そのものに問題があるとは気づかなかった。
という東浩紀の述懐には、なんとなく「バンドとは思春期的なものだ」というポリスのスティングの言葉を思い出したりもした。
2018年12月の危機後、上田洋子氏が代表になり徳久倫康氏の尽力もあってゲンロンが存続できたのはよかった。そうでなかったら、ゲンロンカフェでのメフィスト評論賞をめぐる法月綸太郎氏と私の対談(2019年1月24日)は消えていたかもという時期だったし。
いろいろあるだろうけど、長く続くことを期待します。
-最近の自分の仕事
葉真中顕『そして、海の泡になる』の書評 → 「週刊現代」2020年12月12・19日合併号