『エンタメ小説進化論 “今”が読める作品案内』では、『盤上の夜』も論じた。同作を書いた宮内悠介のインタヴューが「ミステリマガジン」7月号に載っており、興味深い内容になっている。
新本格好きだったことや、笠井潔の大量死理論、法月綸太郎『ノックス・マシン』に言及していることなどに納得する。『盤上の夜』は、ルールのあるゲームをめぐる「形式化の諸問題」(柄谷行人『隠喩としての建築』所収)が一つのテーマになっていたと読めるし、同問題の本格ミステリへの応用が、法月の提唱したいわゆる後期クイーン的問題なのだから。
一方、後期クイーン的問題を扱った法月綸太郎の小説『ふたたび赤い悪夢』(92年)のヒロインはアイドル歌手であり、作中ではアイドル論が語られたり、ジョン・レノン“神”の詞が引用される場面があったりした。
その意味で同作は、やはりアイドルがヒロインでアイドル論を含んでいるドラマ『あまちゃん』や、良くも悪くも最近一番目立ったアイドル論『前田敦子はキリストを超えた』と一緒に論じるとよいかもしれない。現在と90年代の感覚を比較考察することで、アイドル像の変化が浮かび上がるのではないか。
「形式化の諸問題」から柄谷が態度を変更して書いた『探求I』には、ドストエフスキーのイエス・キリスト像に関する考察があった。交わらないはずの平行線が交わる「非ユークリッド的概念」の無限遠点。そのような、「神」と「人」という平行線が交わる特異点として、ドストエフスキーのキリストをとらえていた。
これは、作中の登場人物の1人であると同時に、物語全体を見渡す神のような立場でもある「名探偵」という特異点をめぐる後期クイーン的問題とも、関連を見出せる議論だろう。
この議論を、『前キリ』的な「アイドル−宗教」論に応用できるかどうかはわからない。ただ、『ふたたび赤い悪夢』におけるレノン“神”の引用からもわかる通り、法月の場合、「ロック−宗教」論的モチーフを後期クイーン的問題−名探偵論と関連づける着想があったのは確かだろう。