ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

海道龍一郎×伊東潤「歴史小説はロックだ!」

読楽 2013年 08月号 [雑誌]

読楽 2013年 08月号 [雑誌]

「読楽」8月号に、海道龍一郎と伊東潤の対談「歴史小説はロックだ!」が載っている。その記事は、ストーリーテリング、ジグソーパズル、プランニング、リーダビリティ、グランドデザインなど、片仮名ことばを多用して和ものの歴史小説の書きかたを語っているのが面白い。
綾辻行人有栖川有栖と同世代である2人の歴史小説家は、ミステリのルールを前提にした新本格とはまた別の形で、歴史というルールに則った小説についてシステマティックに語っている。時代小説の場合は人間関係を描くのに対し、歴史小説は歴史の構造を背景にした人間関係を描く。そのぶん、史料を重視しなければならないという枠組みのなかで、いかに虚構を膨らませるか。2人の議論はそのように整理できるが、謎解きのルール性のなかで登場人物を動かす本格ミステリと通じるところのある創作上の問題である。


対談のなかでは、執筆の合間にロックを聴いているという話題が出てくる。大河ドラマ平清盛』にもオーケストラ変奏版が使われていたEL&P“タルカス”のほか、レッド・ツェッペリン“アキレス・ラストスタンド”、キング・クリムゾン“スターレス”といった曲名が登場する。
海道は、音楽の比喩で文章について語る。

それと、音楽のテンションという考え方があるじゃないですか。(略)文章の中にテンションを入れていくときは、やっぱり音楽的な発想で入れていったほうがいい。行間の中で心情が高まったり、甘くなったり、やさしくなったり、きつくなったりする。それは音楽的考え方なので。だから、心情のコードが三つある中に、三つ四つテンション・コードとして言葉を入れていくという感覚です。

コードという用語が使われるあたりも、新本格関連の小説作法論を思い出させる。


そして、思うのだ。歴史小説がロックだというよりも、ロックがもう長い歴史を持ってしまったから歴史小説を語る時に相性のいい比喩になるのだと。
タルカス~クラシック meets ロック