ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

『日本小説批評の起源』

 

日本小説批評の起源

日本小説批評の起源

  • 作者:渡部直己
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: 単行本
 
 

 著者がセクハラ疑惑で早大を解任された件に関しては釈然としないままだが、「ありうべき小説批評の源流を求めて馬琴から『水滸伝』の奇蹟の注釈者・金聖嘆の「漢文」へ」という紹介文をみたからには無視できない。で、読み進めている『日本小説批評の起源』、予想以上に面白い。

 私は小学4、5年生の頃、子ども向けに書かれた『八犬伝』を愛読していた。同じ本を繰り返し読むのではなく、複数社から出ていた『八犬伝』各種を読み比べ、小学生向けから中学生向けへ、その後に大人向きの山手樹一郎版へ、パロディの山田風太郎忍法八犬伝』へなどと進んでいった。馬琴の原文を読んだのは、大学生になってからだった(けれど、あまりに長いから全文ではなく拾い読みだった)。

 たぶん本を買い与える親御さん向けなのだろう、子ども向けの『八犬伝』の巻末にも国文学者とかの解説が載せられていた。そこには、滝沢馬琴は中国の『水滸伝』から話の大枠を借りて『八犬伝』を執筆し云々~とあり、そこから興味を持って子ども向けの『水滸伝』各種をやはり解説こみで読んでいった。馬琴に「稗史七則」という小説作法論があること。百二十回本や百回本が流布していた『水滸伝』に注釈を付したうえ、冗長だとして後半をぶったぎり七十回本に編集した金聖嘆という人がいたこと。――これらの知識を解説から得て、物語間の影響関係、ヴァージョン違いなどへの関心が芽生えた。物語というものはなんだかすごいなぁ、と子ども心に思ったのだ。それが、私にとっての文芸評論的なものとの出会いだった。

 だから、金聖嘆と馬琴に小説批評の源流をみてとる『日本小説批評の起源』は、あの頃の熱に浮かされたような読書体験をわぁっと思い出させると同時に、その根っこの背景になにがあったかを論じてくれる興味深い内容でもあって、私の頭は膨れ上がっている。

 この本では、口承から小説へとまとめられた『水滸伝』、浄瑠璃・歌舞伎の影響も受けた『八犬伝』といった観点が重視されている。また、著者は、柄谷行人蓮實重彦が力を持った1980年代に2人の影響下で批評家として本格的に歩み出した人でもある。私も、『八犬伝』『水滸伝』→柄谷・蓮實→歌舞伎・文楽を通ってきた人間なので、そこらへんが織りこまれた著者の論述に、なんだか走馬灯をみせ続けられているような気分もして、疲れてしまう感じもある。

 なので、まだ読んでいる途中だというのに、ガス抜きにこんな経過報告を書いたのだった。

 さて、続きを読むか。