ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

“東京湾”と氣志團

なんとなく、昨日の続きから。
東京湾景』に出てくる海沿いの場所はすごく限られていて、“東京湾”という単語が地図で示す範囲に比べると、えらく狭い。美緒のいる場所と亮介のいる場所は海が隔てていて、湾を回り込まなければ会いに行けなかった。でも、それは海底を通って「りんかい線」が延ばされることで解消される。だから、大げさないいかたをすると、「りんかい線」は作中では、二人を近づけた魔法みたいなものだった。
しかし、彼らを隔てる湾といっても、しょせんはお台場と品川。近い距離なのだ。そんな微妙な滑稽さも作者の狙いのうちだろうけど。
亮介のスクーターでドライヴしようかと話す場面はある。二人乗りで40キロ程度出せるとして、30分くらいで行けるのはどこか。西は横浜、東は幕張あたりまでだろう、と亮介は考える。『東京湾景』が、読者に“東京湾”の範囲を一番広くイメージさせるのは、たぶんこの箇所。ところが、「涼子」の行きたがったのは、しながわ水族館。あっという間に“東京湾”は、またとても狭いイメージに刈り込まれてしまう。
僕が生まれたのは千葉市で、そこから今、移り住んでいるのが浦安市。そんな東京湾岸の千葉県部分に暮らしてきた自分としては、「涼子」があっさりこの地域をイメージの外に切り捨ててくれたことに、ムッとしたりしないでもなかった。そういった思考の流れから、幕張よりさらに南にある千葉の東京湾岸、木更津市へ、木更津から登場したグループ、氣志團へと僕の連想は滑っていった。
氣志團万博2003 木更津グローバル・コミュニケーション! ~Born in the toki no K-city~ [DVD]
木更津といえば全国的には、東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の千葉県側出入口だが、通行料は高いし神奈川県の川崎側口から来たがる人はあまりいませんでした、ということで知られている。さらに、デパート、木更津そごう閉店が地元経済をより疲弊させた。報道番組などでは、日本の道路行政の失敗やバブル後の爪あとの深さを象徴する地域として、木更津はとらえられがちだ。
本当は木更津は、東京の仲間入りをしたかったのだろう。成田が新東京国際空港、浦安が東京ディズニーリゾートを置くことで、どこか“東京”性を着たみたいに振舞ってきたように、東京湾横断道路を設けることで“東京”圏の広がりを印象づけ、木更津も“東京”になりましたといいたかったのだろう(注:1978年の開港以来の「新東京国際空港」は、運営する公団の民営化に伴い、2004年4月より「成田国際空港」と改称した)。
でも、横断道路の失敗によって逆に、木更津の非“東京”性が際立ってしまった。だから、“東京”の適用範囲を自分たちの方にまで広げたがる千葉の意地汚さをよく知るこの身としては、ことさら“東京湾”を狭くしたがる『東京湾景』に、なんとも複雑な思いを抱いたわけ。湾の向こうとこっちをつなぐ点では同じでも、『東京湾景』における「りんかい線」と東京湾横断道路では、受け入れられかたが全然違うよなぁ、とか。
そして、昨年の夏に開かれたギャグ混じりのお祭り的ライヴ・イベント「氣志團万博2003 木更津グローバル・コミュニケーション!」に連想が及ぶ。古典的なヤンキーのカッコをして、地元を元気づけようと頑張る彼らは、村の青年団みたいに圧倒的に闇雲に正しかった。“東京”に失恋した代わりに、“万国博”“グローバル”というもっともっとデカいレッテルを貼ってみせること。それらのレッテルは現実感を欠いているのであって、確かにギャグなんだけど、そういうギャグをいわせてしまう土壌を生々しく感じてしまったのは、自分が千葉人だからなのか。氣志團も、現在的な「空転」の感覚を、彼らなりの形で背負っている。
氣志團がけったいな扮装で、歌謡ロックンロールにのせて叫ぶウソくさいLOVEは、『東京湾景』が“恋愛小説”であることと、地続きだ。そう思えてならない。
氣志團現象について今頃、熱く語るのもなんだな、とは思ったけれど、千葉人として前から彼らに感じていた微妙なところを少しでもメモしておこうかと考え、書いてしまった。とても恥ずかしい。……今日の文章は、いずれ削除するかも。