ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「手賀沼サマーランド」と〈埼玉ゴズニーランド〉

読まずに書く文芸時評田中康夫のパクリ)第2弾、というわけでもないが……。
上記のごとく読了したので、『半島を出よ』をめぐる村上龍のインタヴューに目を通そうかと、地元の図書館で「群像」のバックナンバーを探していた。すると、6月号に群像新人文学賞の発表が出ており、選からもれた最終候補作に「手賀沼サマーランド」(渋谷禎之)というタイトルを見つけた。
手賀沼サマーランド」とは、東京サマーランドを想起させるネーミングである。と同時に、千葉県内の手賀沼を舞台にした点では、やはり県内にある東京ディズニーランドをも連想させる命名だ。
手賀沼といえば、かつては水の“汚さ”で全国トップになり、他県にも知られるようになった沼(90年代半ば以降は浄化活動が進められている)。いったい、どんな応募作だったんでしょう? 藤野千夜による選評が一番、ストーリーに言及している。

沼のほとりにある奇妙な研究所で男女高校生(各一)の面倒を見るアルバイト大学生を描いた「手賀沼サマーランド」は、夏が終わる、という若者らしい無常感をよく伝えてはいるものの、唐突に視点人物を変えてまで明かされる研究所の設立目的や周辺人物の正体、といった大仰な謎ときがはっきりと不要だった。

この紹介をみると、同じ講談社なら、群像新人賞よりもメフィスト賞ファウスト賞に応募したほうがよかったのでは? と思わせる内容みたいである。
 ほかの委員の選評はどうだろう?

へドロ沼の上を吹く風の生ぬるさがよい。しかし最後、登場人物たちの「正体」が明らかになるに及んで、劇画みたいになってしまった(加藤典洋

ヘドロのイメージが突出して脳に残った。登場人物やその行動、会話については、上手くできたマンガを読まされたような気がした。(多和田葉子

深夜、男二人を乗せてヘドロ臭漂う手賀沼を横切ってゆくスワンボート、という馬鹿馬鹿しいイメージの魅力が心に残る。(松浦寿輝

このようにほかの3委員は、ヘドロのイメージとマンガ的であることばかり記憶に残っているらしい(堀江敏幸の選評には言及なし)。
で、浦安市民である僕が思い出したのは、現在、東京ディズニーリゾートとしてきれいに整地された舞浜や、マンション密集地帯となった新浦安の埋立地が、かつてはヘドロが問題となった場所であること。
旧江戸川沿いの製紙工場から廃水がたれ流され、東京湾の浦安沿岸から葛西沖にかけて、魚貝類が大量に死んだ過去があった。この問題がこじれ、1958年(昭和33年)には、漁民が工場に殴りこむ事件も起きている。現在、東京ディズニーリゾートが立地しているのは、そんなヘドロ公害があった河口の海域を埋め立てた場所であり、そこで毎日、マンガのキャラクターを立体化したショーをにぎにぎしく開催しているわけだ。
ということは、ヘドロのイメージとマンガ的であることを核にした「手賀沼サマーランド」は、東京ディズニーリゾート的な日本の土地開発の光景に対する批評となりうる可能性があったのかもしれない。よって、浦安在住の小説好きとしては、ぜひ読みたい気分になっているのだが……。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/000004
アオヌマシズマ
ただ、「手賀沼サマーランド」とは、ありがちなもじり、ともいえる。
例えば、大槻ケンヂは以前、アンダーグラウンドサーチライというパンク・プロジェクトをやった際、〈埼玉ゴズニーランド〉と題したものすごい曲を発表していた。埼玉にモッキーゴウスやゴナルド・ボックのいるゴスの遊園地があって……というオドロオドロしい歌。そこには、オーケン流の風刺やけれんが息づいていた。
ちなみに、この曲を収録したミニ・アルバムは《アオヌマシズマ》で、兄弟作に《スケキヨ》ASIN:B00005GS2J。もちろん、いずれも『犬神家の一族』の青沼静馬と佐清からとったタイトルで、見ての通り2枚とも、佐清のマスク姿がジャケットだった。
ただし、歌詞の内容は金田一耕助シリーズとは、まぁ関係ない。それなのになぜか、ミニアルバムには、横溝正史の御子息・亮一氏のコメントが掲載されていた。
ミステリ研究者必見必聴の作品である(……本気にしないように)。

  • 今夜の献立
    • さば味噌
    • アサリ汁(しょう油ベース)
    • ハーブ塩、こしょう、サラダ油で炒めたキャベツにポン酢
    • オニオンスライス(梅肉、きざんだシソ、三杯酢、しょう油少々)
    • 玄米1:白米1のごはん
    • 納豆