ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

sonarsound tokyo 2004

昨日、恵比寿ザ・ガーデンホール/ルームで開催された「sonarsound tokyo 2004」の2日目を見に行った。電子音楽のフェスティヴァルだが、「ELECTRAGLIDE」や「WIRE」みたいなダンス寄りの内容ではなく、エレクトロニカ主体のイヴェント。本来は今回の東京版も、バルセロナで続いてきた本家「sonarsound」が実現してきたであろう総合アート的な催しを目指していたはずだ。しかし、実際のライヴ会場は、“「箱もの」に詰め込まれた”感覚がつきまとう窮屈さだったのは否めない。
ライヴは、ホールとルームの2ヶ所同時並行で進められたが……。
「ルームのほうは人が入りすぎて入場規制ばっかりでさぁ、ろくに自分の好きなもの選んで聞けないんだぜ。それで8,000円取られちゃ高いよな」
――会場で聞いた客のぼやきである。招待券ではなく身銭を切って入場した僕には、理解できるセリフである。踊るのでなく音色を楽しむエレクトロニカを、満員電車みたいな密集率でじっと立ちつくして聞くのは、ちとつらい。ほんとは、のん気に寝転んで聞くくらいがベスト。その満員電車からも締め出されたら、ぼやくよ、そりゃ。ルームのほうは、アーティストが静かな音色を出している場面だと、「ただ今、大変混雑しておりまっす! 入場したら奥に進んでくださっい!!」と会場整理の声のほうが大きく響き渡ってしまう困ったリスニング環境でもあった。
フードコーナーにも、不満はあった。缶ビールのおかわりを買いに行った時。
「エビスください」
「すいません、エビスが切れてまして黒ラベルしか残ってないんです」
――って、なんじゃそりゃ。エビス切らすぐらいなら「恵比寿ザ・ガーデンホール」なんて名乗るなよ。
あと、メキシコ流たきこみごはんのアロス・ア・ラ・メヒカーナ。味は旨かったけど、ごはんの一粒一粒が砕けているうえ(これって調理法で必然的に砕けるの? 経費節減で砕けた米使ったの?)、パサつき気味の仕上がりだったので、渡された木のフォークだとポロポロこぼれて食べにくかった。なんでスプーンにしてくんないの?
――と、周辺状況にはいろいろ苦言を呈したいが、お目当てのライヴはけっこう面白かった。個人的には8,000円分は楽しめた感じ。

Opiate

ビョーク《ヴェスパタイン》にも参加した人。ほどほどに跳ねるリズムに丸まっこい音色がのっかる。場内整理の声さえうるさくなければ、もっと浮遊感に浸れたはずなのに。ラップトップミュージックをライヴで親しみやすい形で鳴らす理想形とは、こんな風かもしれない。

Shneider TM

ノイジーなビートに変調したヴォーカル。その調子のまま、ザ・スミス〈ゼア・イズ・ア・ライト〉をカヴァーする。グシャグシャなサウンドに崩しても名曲は名曲だなぁ、なんて思ったりして。

RADIQ aka 半野喜弘×青木孝允

前半は歪なリズムとメタリックな音色を強調したラップトップミュージックで、後半にサックス、ベース、女性ヴォーカル2人が加わる。その場面転換が鮮やか。特に暴れまわるソプラノサックスの音が心地よかった。

Human Audio Sponge(SKETCH SHOW+坂本龍一)

細野晴臣高橋幸宏のスケッチ・ショウのライヴに坂本がゲスト参加したことはあったが、始めから3人が組んだ形で出演するのは国内では11年ぶりだという。スケッチ・ショウも坂本も、それぞれ近年はエレクトロニカに接近する方向だったから、合体しても違和感はない。前半は3人+サポート1人でラップトップミュージック。基本的に《TRONIKA》延長線上の、ほのぼのエレクトロニカだった。
そこに5人目としてギターで小山田圭吾が加わり、細野がベースを手にした〈War & Peace〉からの後半戦が、実によかった。先週、僕は〈War & Peace〉日本語版を批判したが、昨日の〈War & Peace〉英語版は、グルーヴ感が格段に増していて会場の反応も上々。あの曲で場内の空気が変わった。
先日のTVでのスタジオ・ライヴを経たことで曲の把握度が上がったこと、小山田のギターがよりリズミカルに弾けていたこと、ラップトップミュージックで固めていた前半から手弾きが混ざる後半に移る変化の妙……。同じ曲に対する印象が自分のなかで一変した理由をいろいろ考えてみたが、それら以上に日本語ではなく英語だから「聞けた」のではないか――と身も蓋もない結論に至る。日本語方言でいくら平和を訴えても、戦争当時国には理解できない言葉なわけだし、それをなかば知っていながら家のなかで叫んでいるような、内弁慶っぽさが居心地悪かったってのはありそうだ。その点、英語はイギリスとアメリカだけで話され表記されているわけではなく、“グローバル化”した地域なら、必ず見かけたり耳にしたりする言語。土地と人の結びつきの混乱によって広がる点で、戦争と英語は近しい。だから、“戦争と平和”は英語で語ったほうが、まだ“リアリティ”っぽさを感じるのだろう――というのはライヴの最中ではなく帰る途中で考えたことで、どうにもこじつけ臭い。ここは素直に、〈War & Peace〉英語版ライヴ・ヴァージョンは、サウンドとして心地よかったと記しておこう。
この曲の後、エレクトロニカ色を残しつつも、幸宏がドラム叩いたり坂本がエレピ奏でたりプレイヤー気質を見せる場面が増えて、ノリが多層的でよりしなやかなものになっていった。かつての坂本のソロの名曲〈Riot in Lagos〉が聞けたのも、もうけものだった(過去にYMOのライヴでもやっていた)。半野×青木といい、Human Audio Spongeといいラップトップミュージックからバンド的なサウンドへという構成で盛り上がったことについては、ラップトップミュージックへの理解を求めるのが主旨のイベントとしてはどうなのかな、と思わないでもないが、よかったもんはよかった。
ただ、アンコール最後の〈Pure Jam〉が終ったのが11時半。おかげで浦安まで帰る東西線最終に乗れなくなって、タクシー代3,600円使うはめになった。元YMO3人組が開演を遅らせなければこんなことにはならなかったのに……。その意味では結局、僕にはコストパフォーマンスの悪いイベントだった……。