ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

ケン・ヒル版『オペラ座の怪人』

昨日、東京厚生年金会館にてケン・ヒル版『オペラ座の怪人』を観劇した。ガストン・ルルー原作によるこの話のミュージカル化では、アンドリュー・ロイド=ウェバー版(劇団四季のヴァージョン)のほうが有名だが、初演はケン・ヒル版のほうが先。おおまかには、原作にわりと忠実な展開で怪奇味とコミカルさが目立つケン・ヒル版、思いっきりラヴ・ストーリーに加工してスペクタクルな舞台にしたロイド=ウェバー版という色分けになる。
両版はいずれも2部構成。いろいろ比べてみると、まず、ロイド=ウェバー版では第1部中盤で早くもファントムが姿を現し、クリスティーヌを連れ去る場面であの有名なテーマ曲が歌われる。ところがケン・ヒル版は第1部後半まで、ファントムはなかなか姿をはっきり現さない。劇場の新支配人は、幽霊など存在せず、主役の欲しいクリスティーヌが陰謀に加わっているんだろう、などと迷探偵ぶりをみせもする。ロイド=ウェバー版はこの疑いについては歌でさらっと流し、雰囲気勝負でぐいぐいストーリーを進めている。それに対し、ケン・ヒル版は怪奇味が強いと同時に、意外と推理小説的な思索が出てくる。その結果、説明的なセリフが多くなっているのは否めない(来日公演なのでセリフを聞くのでなく、字幕で“読まなければ”ならない。そのせいで、よけい説明的に思えた面はあるだろうが)。しかし、主要人物たちの造形に関し、性善説寄りの甘さが目立つロイド=ウェバー版に対し、ケン・ヒル版では小心さ、身勝手さ、醜さなどが立体的に描きこまれている。このあたりはポイントが高い。
また、ロイド=ウェバー版のオリジナル音楽がよくも悪くも“ポピュラー”として上出来に作られているのとは異なり、既成のオペラの曲にストーリーにあった詞を乗せたケン・ヒル版は、“オペラ座”という舞台設定をよりリアルに感じさせてくれる(その分、ロイド=ウェバー版ほどのテンポやメリハリはない)。特に、悪魔−人の関係を描いた劇中劇「ファウスト」は、ファントム−ヒロインの関係と呼応しているわけで、こうした遠近法に敏感なところはケン・ヒル版で評価すべきところだ。
さらに、ロイド=ウェバー版が、地下への移動、シャンデリアの落下といった場面で舞台装置のゴージャスさを強調しているのに対し、ケン・ヒル版はこじんまりとしている。しかし、役者が客席に現れたり、クリスティーヌがオーケストラ・ピットで歌ったり、芝居が演じられている劇場を「オペラ座」に見立てて盛り上げる演出は、ケン・ヒル版のほうが一枚上だ(シャンデリアを劇場の上方と舞台の上方、二重に吊るす演出も面白かった)。
ルルーの原作は、今となっては話運びや語り口調に古さを感じざるをえない部分が少なからずある。だが、状況設定や人物配置などについては、今でも時代を超えた魅力を放っている。だからこそ、この原作からどの要素をクローズアップするのか、方向性の異なる映画化や舞台化などが何度も繰り返されてきた。その意味で、ロイド=ウェバー版とケン・ヒル版の差異は原作にあった奥行きの反映と考えられる。僕としては両版の中間くらいのトーンで舞台化されれば極上だと想像するけれど、これは贅沢すぎる望みなのだろう。悩ましいなぁ。
とにかく、故フレディ・マーキュリーの友人でもあったピーター・ストレイカーの艶のある歌声を聞けてよかった。彼が演じたファントムと、クリスティーヌ、ラウルの3人で歌った第1部最後の曲は、絶品だった。


さて、年明けにはロイド=ウェバー版映画の公開が控えている。いい機会なので、またファントムに浸ってみようと思う。映画を見終わったあとで、また劇団四季も見るつもり。

オペラ座の怪人 (角川文庫)

オペラ座の怪人 (角川文庫)

(原作翻訳には創元推理文庫ISBN:4488530028


ちなみに、僕は、アイアン・メイデンのこてこてヘヴィメタル・ナンバー〈オペラの怪人(ファントム・オブ・ジ・オペラ)〉(《鋼鉄の処女ASIN:B00005GKYY)も大好きです。