ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

フランツ・フェルディナンド live

24日にリキッドルーム恵比寿で観たフランツ・フェルディナンドのライヴは、上り調子の新人バンドならではの楽しさがあってよかった。多少演奏があらくなっても、成長期ならではの勢いがたいていのことをOKにしてしまう。バンドのこういう幸福な時期を目撃できると、こちらもしあわせな気分になる。
ジャケットのデザインやスーツのシルエットなど、見てくれにこだわるバンドである。ステージでも、やたらとポーズをとるシーンが多い。ジャケットのアートワークを引き継いで、PVではメンバーがわざと平面的な印象を与えるよう演出してあったが、ステージ・パフォーマンスにもそうしたヴィジュアル・イメージを意識した部分がある。ニコラスはその場で足踏みしながら上半身を左右にひねり、ギターのネックを振ってリズムをとる。オモチャの兵隊さんに似たそのちょっとコミカルなしぐさが、ライヴ会場全体のリズム感を決めていたりするのが面白い。
フランツ・フェルディナンドには、白人と黒人の人種間における相互影響とか、あるいは苦悩や怒りといった、肉体性や情緒から音楽を作っている様子は感じられない。アレックスのちょっとドラマチックな歌にしても、感情のほとばしりというより、シナリオをこなしていく芝居の面白さに近い。肉体や情緒みたいな生々しいものに没頭するのではなく、むしろアートやファッションなど、ある種無機的なものに自らをあずけることで身軽になって楽しむ――そうした体質のバンドなのだと思う。これは、デヴィッド・ボウイロキシー・ミュージックに代表されるUKポップの一つの伝統芸だ。この路線では自らをあずける選択肢として、アートやファッション以外にSF的イメージもあった。それが顕著に出た時期が、80年代前半のエレ・ポップだった。ロボットをも思わせるニコラスのおもちゃの兵隊ダンス(?)やシンセのチープな鳴らしかたには、そんなエレ・ポップからの遺産も透けて見える。
とはいえ、ある種無機的なイメージに自らを仮託しているバンドであるくせに、ライヴでは“成長期ならではの勢い”なんて若手特有の有機的な生々しさも平気で両立できてしまうわけだ。このへんが、ライヴのマジックなんだろうね。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20040713