ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

東野圭吾『容疑者Xの献身』と歌野晶午『女王様と私』

女王様と私
内向的な変わり者の男をめぐるミステリ――という点では共通する2冊である。いずれも、恋愛に慣れていない男が想った女性のために奔走する話だが、主人公のあり方がこうも違ってくるものかねぇ。
『容疑者Xの献身』ISBN:4163238603、高校教師ではあるが実は天才数学者。独身を続ける彼の生きがいは、アパートの自室で数学の難問に取り組むこと。そんな彼が、弁当屋で働く隣人の子持ち女性に恋をした。ストーカー的な前夫を殺してしまった彼女を救うべく、石神の論理的思考が急回転する……。
女王様と私』の真藤数馬は、コンビニやビデオ屋、アキバに出かけるくらいで、こもりがちなオタク。そんな彼の話相手は妹くらいだったが、偶然出会った女王様のために少女連続殺害事件の真相を追うようになる……。
こうして並べると、想った女性のために献身し始めるという話の大枠は近い。けれど、『容疑者Xの献身』がいわゆる“泣けるラヴ・ストーリー”的なのとは反対に、『女王様と私』には黒い笑いがこみ上げてくる。後者の歌野作品には、世間的に“泣けるラヴ・ストーリー”と認知された『電車男』をひっくり返したみたいな皮肉さがある(掲示板住人のアドバイスにより、電車男は自分のファッションを改良した。一方、真藤数馬は女王様の言いなりでファッションを改造する。とはいえ、「ダ・ヴィンチ」10月号の歌野インタビューによると、『女王様と私』のアイデアは『電車男』登場以前からあったという)。
母子家庭の家計を荷う子持ち中年女性に恋した石神と、ロリコンの真藤数馬では、まぁ恋心の質自体が違うともいえる。だからなのか、作中において変わり者の男と比較対照される人物もかなり異なる。『容疑者Xの献身』では、石神のライバルとして大学の同窓生・湯川学が登場する。湯川は、『探偵ガリレオISBN:4167110075、『予知夢』ISBN:4167110083露した天才物理学者である。しかし、『女王様と私』でロリコンの真藤数馬と並べられるのは、男子児童に淫らな行為をした小児性愛者(ペドフィリア)だったりする。石神はある種のヒーローだが、真藤数馬はどんなに奮闘しても道化なのだ。
論理美を追求する石神を主人公にした『容疑者Xの献身』は、“泣けるラヴ・ストーリー”であると同時に、結末の意外性も用意した倒叙ものの本格ミステリとして冴えをみせる。一方、『女王様と私』は妄想的な世界を徘徊する話であり、歌野作品の中では『世界の終わり、あるいは始まり』ISBN:4048733508が読みどころ。
2作とも、恋する男は警察に拘留される展開となるが、読者にとって石神はカッコよく映り、真藤数馬はぶざまと思える。2人の男の違いは、数学ができる男/ただの無能の差なんでしょうか? かつて数学で赤点を繰り返した身としては、数学のできる石神のヒーローぶりにやっかみを覚える分、真藤数馬の無能さに感情移入してしまいます。