第6回「本格ミステリ大賞」の候補作が決定した。
- 小説部門
- 『ゴーレムの檻』柄刀一ISBN:4334076068
- 『扉は閉ざされたまま』石持浅海ISBN:4396207972
- 『向日葵の咲かない夏』道尾秀介ISBN:4103003316
- 『摩天楼の怪人』島田荘司ISBN:4488012078
- 『容疑者Xの献身』東野圭吾ISBN:4163238603
- 評論・研究部門
- 『探偵小説と二〇世紀精神』笠井潔ISBN:4488015190
- 『ニッポン硬貨の謎』北村薫ISBN: 4488023827*クイーン論として
- 『ヒッチコック「裏窓」ミステリの映画学』加藤幹郎ISBN:4622083035
- 『ミステリー映画を観よう』山口雅也ISBN:4334739687
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050713)
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20060103)
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20051214)
『容疑者Xの献身』をめぐって(おまけ)
“本格論議”とは、全然関係ない話。
『容疑者Xの献身』は、最近のベストセラー小説として、すぐれた商品になっていた。
この作品は、出版社側が「純愛」を強調して売り出したわけだが、「純愛」なんかじゃない、ストーカーでしょ?――みたいな反応は、当初からあった。出版界が“泣ける”ブームになっているなか、この作品は「純愛」として売り出されてもかまわない姿勢をとりつつ、「純愛」を批評的に相対化してしまう要素をも作中に多く含んでいた(石神の人間像)。
でも、これって“泣ける”ブームの流れを作った片山恭一『世界の中心で、愛を叫ぶ』の段階で、すでに仕込まれていた構造だったりする。ライターズ・ジム『謎解き「世界の中心で、愛をさけぶ」』ISBN:4860620240、僕も触れたことがあるが、小説『セカチュウ』には「恋愛小説」への皮肉めいた要素がある。朔太郎はアキの名を漢字でどう書くのか、誤解していた。ヒロインの理解者であるはずの彼が、無理解だったわけ。また朔太郎が、ネタとしてリクエスト葉書に白血病のことを書いた後で、アキは白血病になった。作者は、今頃白血病を小説に取り上げるベタさを自覚して、こんな展開にしている。それなりに、批評的ではあったのだ。
しかし、『セカチュウ』は、作品の批評性を読者が見過ごしてベタに“泣ける”小説としても、流通できるものだった(批評性からベタへの転換は、掲示板の住人が集団で“ラヴ・ストーリー”をこしらえるという、極めて批評的な物語製造過程を経た『電車男』が、ベタに“泣ける”商品に化けたことで反復された)。そう振り返ると、「純愛」/批評性を含んだ『容疑者X』は、『セカチュウ』、『電車男』後のエンタテイメント商品としていかにもふさわしい、二枚腰の作品になっている。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』というタイトルは編集者提案であり、作者が当初考えていたのが「恋するソクラテス」だったのは、わりと知られた話。そして、東野圭吾の長編の場合、当初、「容疑者コペルニクス」の符丁で呼ばれていたものを「容疑者X」の題で雑誌連載し、単行本化に際して『容疑者Xの献身』に改めたという。文藝春秋担当編集者&東野圭吾が、『セカチュウ』のタイトルの経緯を意識していたかどうか知らないが、ソクラテスとコペルニクス……なんだか、近しく感じられます。
――てなことを考えると、『セカチュウ』TV版の主演だった山田孝之&綾瀬はるかが、東野『白夜行』ドラマ化にも起用されたっつうのは、もともと縁があったように思えてきませんか?(とかなんとかいいながら、ドラマのほう見れてないんですけど……)。