- アーティスト: 森進一,川内康範,阿久悠,中山大三郎,猪俣公章,森岡賢一郎,小杉仁三,若草恵
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2006/02/22
- メディア: CD
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (12件) を見る
森進一が持ち歌〈おふくろさん〉の前奏として、別の作詞家(保富康午)による(セリフっぽい)歌を勝手に追加し曲を改変したとして、オリジナルを作詞した川内康範が激怒している。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200702/gt2007022103.html(サンケイスポーツ)
このニュースを聞いて思ったのは、演歌界において前奏は、昔っから“不純”な扱われかたしてきたんじゃないの? ってこと。
演歌のショーでは、司会者が詞的な表現で曲紹介することが多かった。「歌は流れるあなたの胸に」、「惚れた私が馬鹿なのか、騙したあんたが悪いのか」みたいな(小松政夫がよくパロディにしていたっけ)。芥川隆行のように、その種の詞的ナレーションを売りものにする大家だっていた。
- 作者: 芥川隆行
- 出版社/メーカー: 東芝EMI音楽出版
- 発売日: 1987/05/15
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
そして、オリジナルの詞にはないナレーションを曲の前奏にまでかぶせることは、演歌の実演で珍しくなかった。つまり、歌メインの曲に、ラップ部分を後からリミックスするみたいなことを頻繁にやってきたわけ。
だから、歌本体を盛り上げるためには、前奏部分を装飾してもいいという感覚が、演歌界にはもともとあったといえる。今回の〈おふくろさん〉問題も、前奏をめぐるそうした土壌が背景にある。普通なら司会者が担当する曲の前ふりナレーションを、歌手本人が歌の形に様式化すると、あのような前奏になる――ということだ。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20060407#p1)
- 最近自分が書いたもの
- 「ひとり嫌いの人向け」(青山七恵の芥川賞受賞作『ひとり日和』に関するコラム) → 「ROCKIN’ON JAPAN」3月号
- 《ark》のディスク・レビュー → 「音楽誌が書かないJポップ批評 47 L’ark~en~Cielの奇跡」ASIN:4796657010
- 21日夜の献立
- いわしの丸干し
- ゆでキャベツ(ポン酢、マヨ)
- 大根とにんじんの味噌汁
- 玄米ごはん
- たこ焼き
- ビール、チューハイ
- 22日夜の献立
- 鶏とキャベツのトマト煮(オリーブオイル、玉ねぎ、にんにく、ローズマリー、こしょう、ブイヨン。カットトマト缶使用)
- 玄米ごはん