ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

続「ミステリ・ジョッキー」。そして「文化系トークラジオLife」――(“DJ的”雑考 4)

(「ローレゾリューション論(仮)」のための覚書 6)(“評論”レヴュー/“レヴュー”評論 3)

『その音楽の〈作者〉とは誰か』『聴衆をつくる』

音楽学者・増田聡の原稿に関する考察から始まった「“DJ的”雑考」が、なぜミステリ界の評論家批判や「ミステリ・ジョッキー」の話題へとシフトしていったのか。奇異に思う人もいるだろうから、補足しておく。
『その音楽の〈作者〉とは誰か リミックス・産業・著作権』(2005年)という著書のある増田は、『聴衆をつくる 音楽批評の解体文法』(2006年)という評論集もまとめている。この2冊のタイトルおよびサブタイトルは、「作者」、「聴衆」をそれぞれ固定的なポジションではなく、流動的なものととらえる批評的な視点を示している。
そして、『聴衆をつくる』〔第1章 聴衆の生産――「聴くこと」の文化研究〕では、音楽批評のありかたが論じられており、次のようなくだりが出てくる。

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

聴衆をつくる―音楽批評の解体文法

コンポジション」を聴く耳にはそのように、「サウンド」を聴く耳にはそのように聞こえる。そして両者は同一人物の中にも重なり合い、揺らぎ、他方が他方を抑圧し認証し、あるいは社会的ポジションに呼応しつつ「私の聴き方」を形づくる。
音楽を巡る言説空間は二つの聴取が絡みあう闘争領域となる。

コンポジション」とは旋律や和声などの構造的側面であり、「サウンド」とは音楽の響きかたである。前者は作曲家、後者は聴取者にそれぞれ近い領域であり、「コンポジション」を重視するか、「サウンド」を重視するかで音楽批評のありかたは大きく違ってくる(例えば、田中雄二が以前、ブログに書いていた音楽ジャーナリズム批判では、「コンポジション」軽視の風潮を叱っていた)。
そして、小説をめぐる言説空間でも、読書をめぐる闘争はある(「本格論争」や「小説のことは小説家にしかわからない」論争にあらわれていたように)。つまり、小説家による評論家批判は、「コンポジション」派が「サウンド」派を批判するようなものであり、音楽も小説も評論をめぐる闘争は似た形をとる。
増田聡は、そんな「コンポジション」−「サウンド」の闘争を前提にしたうえで、リミックスに代表されるように、「作者」なる位置が揺らぐ状況を分析している。それが、彼の一連の「DJ文化」論である。
こうした力学は、ミステリにもみてとれる。

「編集者化するミステリ」と「ミステリ・ジョッキー」

渡邉大輔は「メフィスト」2007年9月号で、メフィスト賞作家が書くミステリの「編集者化」を指摘していた。だが、それ以前からミステリは「編集者化」していたともいえる。

殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)

殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)

高山宏は『殺す・集める・読む 推理小説特殊講義』で、シャーロック・ホームズ・シリーズは「データベース小説」「メタ情報小説」であると論じていた。また、もともとトリックの先行例が意識されるミステリでは、ジャンルのデータベースを参照しつつ創作が行われる。そこでは、一般小説における、内面を告白するようにして小説に書く――という類の図式での“主体”はない。ネタから逆算されて小説全体が構築されるのがミステリなのであり、冷静に素材を選択配列する「編集者」的な姿勢は欠かせない。ただ、諸状況の変化に伴い、ミステリにおける「編集者化」の度合いがより高まっているとはいえるだろう。
この議論の観点からは、「作者」の解体を論じることは可能だし、ミステリを対象とした「DJ文化」論の妥当性もある。僕も、その種の原稿は少なからず書いてきた。――しかし、ベタな現実問題として、当たり前の話だが、それでも作者はいる。
増田聡は「『作曲の時代』と初音ミク」において、「われわれは歌声の背後に、歌う現実の身体を想像してしまう慣習から逃れられない」と書いていた。小説の背後にもまた、それを書く現実の身体を想像してしまう慣習はある。文章を読むだけでは満足しないのだ。だから、小説家をスター視、アイドル視する人も出てくるし、作品以上に人を愛する人も現われる。また、そうした慣習がなければ、作家がラジオ・パーソナリティを演じてみせる企画だって成り立たない。
かくして「メフィスト」では、渡邉の「編集者化するミステリ」論と、「綾辻行人有栖川有栖のミステリ・ジョッキー」という、DJ=ディスク・ジョッキーをめぐる2つのレベルが同居することになる。
(ちなみに渡邉大輔は、「編集者化するミステリ」に触れたその論考「自生する知と自壊する謎−−森博嗣論」において、森博嗣作品に登場する真賀田四季をシステムの「人格化」と理解するほうが適当だと述べている。真賀田四季初音ミク、みたいなものだろうか)

本格ミステリトークラジオMurder”?

「空気読みか祭りか」に走りがちな同期メディア(ネット、ケータイ)とは異なる、ラジオの「呼びかけ」の可能性に鈴木謙介が注目した点には、すでに触れた。また、ラジオ・パーソナリティを擬態する「ミステリ・ジョッキー」に、同様の「呼びかけ」の姿勢がみられることも指摘した。
有栖川は「ミステリ・ジョッキー」第1回(「メフィスト」2007年5月号)で、こう発言していた。

有栖川 本格ミステリの面白さというのは、老若男女を問わず味わえる普遍的なものだと思う。でも最近、色々な新しい傾向の作品が次々出て、自分と違う面白がり方をしている読者もかなりいることに気がつき、ときに違和感を覚える。綾辻さんも以前書いてたでしょ。最近、自分が面白いと思うのと他者が面白いものとの間に乖離を感じると。
綾辻 あ。まあちょっと、そんなこともね(笑)。
有栖川 その乖離、つまり溝は埋まらないのか、はたまた埋まるのかに私は興味がある。そんなモヤモヤとしたものについて二人で話しながら考えたい。

「色々な新しい傾向の作品」には、渡邉が論じたような「編集者化」の度合いを強めたメフィスト賞系の一部が入るだろうし、「謎−解明」よりもキャラや世界観の作り込みに重点を置いた作品(ライトノベル・ゲーム的ものとか)も想定されているだろう。一方、「自分と違う面白がり方」については、パロディ同人誌的なキャラ読みや、ミステリ作品が「ネタ的コミュニケーション」的に消費される風景も含まれていると推察する。
蔓葉信博が、清涼院流水『コズミック』(96年)はコミュニケーションツールだったのではないか――という論点を出していたことは、以前記した。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20080120#p1
『コズミック』登場以後、2ちゃんねるの登場やネット書評の増加などもあり、コミュニケーションツールとしてのミステリといった感覚は広まった。同期メディア的な「空気読みか祭りか」の感覚とミステリは無縁ではない。Amazonでの脊髄反射的レヴューの連なりにも、「空気読みか祭りか」的な感覚はうかがえる。
だから、鈴木謙介がラジオに「呼びかけ」を見出したように、有栖川や綾辻がラジオ・パーソナリティのスタイルに「呼びかけ」機能を発見するのは不思議ではない。
一方、先の第1回に次のようなやりとりもあった。

有栖川 他人から勧められて読んだ本で、自分の好きな“クイーン基準”ではない物差しに気づいて、物差しの種類が増えていく。要するにミステリの“つぼ”が増えていった。
綾辻 偏狭さも、ときにはとても大事ですけど。でも、そういうものですね。こと本格についてだけでも、物差しの種類はいろいろある。

ここでは、マニア的な偏狭さは時には必要だが、そこで閉塞すべきではないという、微妙なさじ加減が語られている。
同期メディアへの参加には、すでにあるコミュニケーションのマップに、自分の発言をどのようにレイアウトしていくのか、ある意味で編集者的な視点を強いられるような息苦しさがないではない。また、偏狭なばかりのマニア的世界は閉塞していく。
それらの“共同性”とはまた異なる“共同性”のありかた、可能性に向けて、実際に語りあう姿を可視化したうえで「呼びかけ」を行うこと。鈴木謙介の「文化系トークラジオLife」、「綾辻行人有栖川有栖のミステリ・ジョッキー」などがやろうとしていることをしかつめらしく表現すれば、そのようになるだろう(「Life」、「ミステリ・ジョッキー」の語り口は、それぞれ実際にはもっとくだけていて、リラックスしたものなんだけどね)。
対談や鼎談というスタイルは伝統的なものであり、今さら珍しくはない。しかし、同期メディアの比重が肥大化したコミュニケーションの勢力図を考えれば、「語りあい」と「呼びかけ」がワンセットになった対談や鼎談は新たな意味を持ちうるし、再評価していい企画の姿だと、僕は前向きに考えている。


以上を踏まえれば本格ミステリ大賞が、第6回の『容疑者Xの献身』受賞で一連の論争のギスギスした空気に包まれた後、厭戦ムードに移り、第7回から大賞発表記念座談会が催されるようになったのはよかったといえる。
本格ミステリ作家クラブHP http://honkaku.com/award/2007/award.html
このトーク・ライヴも一種の「語りあい」&「呼びかけ」といえるし、今年の第8回に関しても同様の座談会が開かれる予定だ。
(そろそろ仕事が忙しくなってきたので、この話題は今回で一区切り)

  • 28日夜の献立
    • 豚肉、にら、もやし、玉ねぎの炒めもの(サラダ油、こしょう、酒、しょうゆ、オイスターソース)
    • クレソン(くるみ。オリーブオイル、米酢、玄米酢、塩、砂糖)
    • 玄米ごはん
    • 発泡酒雑酒、チューハイ