私は2000年に「POSシステム上に出現した『J』」と題した清涼院流水論を「小説トリッパー」に寄稿して、それが評論家としてのステップボードになったのだった。
「J」とは清涼院のJDCシリーズの「J」であるだけでなく、もちろんJポップやJ文学など、当時のやたらじぇいじぇいいいたがる風潮を踏まえたものだった。
その意味ではこのインタビュー↓でJ文学の発信地だった「文藝」の現編集長とJ文学をふり返ったのは、感慨深いものがあった。
最近の自分の仕事
-『文藝』編集長・坂上陽子が語る、文芸誌のこれから「新しさを求める伝統を受け継ぐしかない」(文・取材)https://realsound.jp/book/2020/05/post-558694.html