ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「大人の科学」、イーノ、ボウイ、ヤードバーズ

雪が降っているので、出かける時間をズラそうと思う。浮いた時間でタラタラ書く。

大人の科学マガジン Vol.6」

ドーナツ盤録再蓄音機 (大人の科学マガジンシリーズ)
買うかどうか迷っていた「大人の科学マガジン Vol.6」を結局購入。蓄音機特集で、レコード盤録再蓄音機とお楽しみソノシートがついている。細野晴臣御大のインタヴューもあり。
僕は全然オーディオ・マニアではないけれど、音の聞かれかたの文化史みたいなことには興味がある。だから、お正月に付録の蓄音機を組み立てて、オーディオ史の初期状態を追体験してみようと思ったわけ。でも、不器用だからなー。ちゃんと、作れるかしら。
僕の友人に大変なオーディオ・マニアがいて、「そんな原音を再生できない分離の悪いシステムで聞いて、音楽を語るな」とかよく怒られる。でも原音の再生についてこと細かに語る彼は、とてつもない音痴なのだ。彼の耳は音を正確に聞き取り、脳内ではちゃんと原音が再生されているのだろうか? 彼はえらく高価なシステムと、膨大な量のCDを所有しているけれど、もし本人の「耳→脳」の再生能力に問題があるとすれば、投資は無駄だったことにならないか? しかし、音痴の人でもメロディの区別はつくし音楽を楽しんでいる。てことは、「耳→脳」の再生は大丈夫だけれど、「脳→口」の再生段階で問題を生じるから音痴になるのか? そこらへん、昔から疑問。
さて、「大人の科学マガジン」の記事で興味深かったのは、「ロウ」について。蓄音機のはじめの頃、ロウ管に溝を作って音を記録した時期があった。一方、かつてのガリ版印刷ではロウ原紙に鉄筆で書いていたもの(僕も書いたことがあったが、すぐ破いてしまい苦手だった)。時期はズレるにしても、音、文字の複製手段の両方にロウがかかわっていたのだなぁ、と面白く思った。

イーノのアンビエント

蓄音機初期には、マイクロフォン兼スピーカーの役目をするホーンがついていた。あのラッパの形は、ここに音を吹き込んでください、ここから音が出てきますと「方向」を明示する形をしていた。それが箱型のスピーカーになって、次第に再生装置が「方向」を意識させなくなっていった流れで登場したのが、環境音楽ということになるだろう。どの方向から鳴っているかは問題ではなく、漠然と環境に漂う音、音が漂う環境ってことなのだから。
で、ステレオが不調で片肺再生になっていたことをヒントに新しい“聞きかた”を思いついたことで知られるイーノのアンビエント・ミュージックの初期作が、紙ジャケで再発された。
《DISCREET MUSIC》ASIN:B00069BOX2
《MUSIC FOR AIRPORTS》ASIN:B00069BOXC
《THE PATEAUX OF MIRROR(旧邦題:鏡面界)》ASIN:B00069BOXM
《ON LAND》
オン・ランド(紙ジャケット仕様)
どれも以前によく聞いた(というか部屋に流していた)。一番好きなのは《オン・ランド》。いかにもアンビエント的な“清冽さ”ではなく、ちょっと不穏で不安な響きがあり、オカルト映画のサントラに近い雰囲気。こういう音を部屋で流すと、漠然とした恐怖に追い立てられて仕事が進む(といいのになぁ)。

デヴィッド・ボウイ『A REALITY TOUR』

そのイーノと一時コラボレートしていたことのあるデヴィッド・ボウイの最新ツアーの輸入DVDを先日HMVで購入。このツアーでの来日は見逃してしまったが、DVDを見て後悔。ティン・マシーン結成以後のボウイのライヴ映像では、一番いいかも。ドラムンベースに接近した頃みたいに、自分の感性の若さを主張しようとしてかえって老いが浮き出てしまうということがない。コンセプトとか考えず素直にライヴを楽しんでるから、むしろ自然に若々しさが出ている。昔の曲はキーを落として歌っているとか、新旧取り混ぜて自分の好きな曲を歌うのはいいが曲順のメリハリが弱いとか、不満がなくもない。しかし、曲数は多いし年齢に釣り合ったリアレンジの工夫もあるし、全体としてはお買い得(1,980円でした)。特に、ちょっと〈ワイルド・イズ・ザ・ウィンド〉風にアコギのバラードにされた〈ラヴィング・ジ・エイリアン〉がよかった。

ヤードバーズ《リトル・ゲームス》

そのボウイが昔カヴァーしたこともあるヤードバーズジミー・ペイジ時代《リトル・ゲームス》も紙ジャケになった。ホントになんでもなるなぁ。
リトル・ゲームス(紙ジャケット仕様)
〈ホワイト・サマー〉があって、ボーナス・トラックで〈幻惑されて〉が入っているなど、レッド・ツェッペリンの前史的な性格が強調された扱いである。キング・クリムゾンにとってのジャイルズ・ジャイルズ&フリップ、エマーソン・レイク&パーマーにとってのナイスと同様の位置づけ。
最近、昔のアルバムを聞いていて思うのは、自分にとってのロックはディストーション・ギターだということ。まず、60年代後半にギターの音がノイジーに、ヘヴィになって、ヴォーカルもリズム隊もそれに応じてタフになっていく。そして70年代以降につながるサウンドのバランスが確立される(モノラル主体からステレオの一般化へという流れも関連していただろう)。自分はこの“ディストーション後”の音響をロックだと感じている。だから、だいたい66年頃までの作品のほとんどはロックではなく、“ロックンロール”の印象なのだ。
《サージェント・ペパーズ》と同じ67年発表の《リトル・ゲームス》は、いかにもサイケ時代特有のアレンジの多様化がにぎやかななか、ディストーション後への動きも芽吹いている。まぁ完成度は高くないけれど、芽吹く瞬間特有の熱気やその混乱ぶりが面白いといった性格の作品だ。
エアロスミスがカヴァーした〈シンク・アバウト・イット〉もボーナスで入っている。あ、そうそう、この曲が好きで60〜80年代ロックに親しんでおり、同時に本格ミステリが好きな人は、殊能将之HPのCOVERSコーナーを覗いてみると楽しめると思います。ホントに彼は、才人ですね。http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/