ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』

日本ロック雑誌クロニクル
70年代末までが日本のロック雑誌にとって幸福な時代だったとの認識に立ち、「ミュージック・ライフ」、「ニューミュージック・マガジン」、「ロッキング・オン」、「ロック・マガジン」などの生い立ちと歩みを論評した内容。興味深く読んだ。この本の感想というより、ここから連想されたことを書く。
なぜ、70年代までの洋楽が雑誌と幸せな関係を結べていたのか、簡単にいえば、海外との距離がまだ遠かったからだろう。80年代以降は、来日公演は頻繁に行われるようになり、MTV時代を迎えて海外アーティストの動く姿も容易に入手保存できる環境になった。けれど、それ以前の洋楽は、基本的には遠い国の出来事だったのだ。そして、その遠さを、音楽と文章の宿命的な遠さと重ね合わせる魔術で成り立っていたのが、当時のロック雑誌だった。
『日本ロック雑誌クロニクル』のなかで、篠原は語っている。「ニューミュージック・マガジン」がアメリカンミュージックに関し、担い手に〔社会的・政治的に“抑圧”されている黒人や少数者が含まれていたから〕寛容だったのに対し、「ロッキング・オン」はブリティッシュ・ハードロックを軸に編集することで存在意義を見出した、と。この部分は、同書であまり膨らまされていないモチーフだが、けっこう肝となる部分だと思う。
サブカルチャー(、カウンターカルチャー)というと、とかく日本とアメリカの関係で解釈されるが、内実はもっと複雑だ。だいたいロックというジャンルが確立した60年代は、アメリカに対しビートルズを中心にブリティッシュ・インヴェイジョンが起こった時期である。英国から米国への侵攻抜きでのロック確立は、想像しにくい。と同時に60年代は、黒人の公民権運動やウーマン・リヴといった背景もあった。アメリカ的体制へのカウンターのイメージが、かつてのロックの養分だったわけだ。
一方、日本における洋楽の聞かれかたは、アメリカのチャート上位に反応するのが一般的で、専門雑誌まで買う“通”的なファンは、むしろチャート上位へのカウンターを愛するところがある。それが、アメリカ内部の「黒人や少数者」への共感、あるいはアメリカをインヴェイジョンする側のブリティッシュへの思い入れの形で、かつての(文芸評論的な)ロック雑誌を支えていた。日本は、アメリカの影響下にありつつ、反アメリカ的な感性も“輸入”に頼っていたのだ(ハリウッド映画ではなくフランス映画を偏愛するとか、アメリカ的効率性よりフランス的難解風味を持ち上げるなんてのも同様の風景)。しかし、アメリカ/反アメリカという感性のパワーバランスが洋楽雑誌を支える図式は、90年代以降、失調気味になっている。
そこで、僕が興味深く思うのは、「BURRN!」の立ち位置。『日本ロック雑誌クロニクル』では周辺コラムも設け、ロック雑誌ジャンルのヒストリーを立体的に浮かび上がらせようとしているが、80年代以降については「宝島」を大きくとりあげたくらいにとどまっている。しかし、ロック雑誌ヒストリーを書くなら「BURRN!」にもっと注目すべきである。ニューウェイヴ・オブ・ブリティッシュヘヴィメタル以降のハードロック/ヘヴィメタルを否定し取り上げなかった80年代以降の「ロッキング・オン」と、HR/HM専門誌として84年に創刊された「BURRN!」の対峙が、90年代半ば頃までの洋楽の聞かれかたの配置に影響を与えた面はある。非HR/HMのロックとHR/HMの中間的ムーヴメントであったグランジ、あるいはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン以降のヘヴィロックは、日本での受容がアメリカほど盛り上がりきれなかったり、ブームがワンテンポ遅れたりした。それには、2誌の(あるいは渋谷陽一伊藤政則の)“棲み分け”ぐあいが影を落としていた(その後両誌とも少しずつ性格を変えたが)。
で、「BURRN!」が支持していたタイプの古典的HR/HMは、90年代以降、米英のシーンの前線から後退した。だが、なお同誌は、昔ながらのベテランを支持したり、北欧勢を応援したり、米英の最前線無視の誌面で読者たちとの強固な絆を作り上げたのだった。
そして、「BURRN!」は94年5月に別冊「炎」を創刊した。その原稿用紙20枚近い“論文”が多く載るHR/HM界のオピニオン誌は、文芸誌サイズだった。活字中心である点、投稿を重視した点は、かつての「ニューミュージック・マガジン」、「ロッキング・オン」に近いといえるが、僕にはもっと似た印象の雑誌が思い浮かんだ。「演劇界」――歌舞伎の専門誌である。「BURRN!」系記事特有の「神話」「伝統」「宿命」「様式美」といった単語がそう連想させたのだが、アメリカ/非アメリカという海外に対する感性を遠くに追いやって、海外アーティストに対しても国内の論理で楽しもうとする閉じかたが、伝統芸能を思わせた面もある。
とはいえ、自らが思い入れるジャンルを守ろうとする熱気のものすごさにひかれて、僕自身はあまりHR/HMを聞かないくせに毎号「炎」を愛読していた。なのに、数年で休刊してしまったのが惜しまれる。実は、個人的には「炎」こそ、“活字によるロック”の最後の幸福な姿だったのではないかと、ちょっと思っているのである。

  • 今夜の献立
    • 中華風ハンバーグ(豚ひき肉、大根みじん切り、干し桜海老を砕いたものに塩、こしょうをしてこね、香りづけの青ネギと一緒にサラダ油で焼く。そのあとのフライパンでオイスターソース、赤ワイン、しょう油、きび砂糖、豆板醤、ケチャップ、ニンニクを熱し、ソースを作る)
    • サトイモイカ(子持ち)の煮物(めんつゆ)
    • もやし、緑ピーマン、赤ピーマンの炒めもの。最後にゴマ油エゴマをからめ、ポン酢。
    • 菜めし(大根の葉っぱをゆでて水気をとり、みじん切りにする。それに塩をしたものを、白ごはんにまぜる)
    • 食後にグレープフルーツ――本日、一番てまがかかったのは、サトイモの皮むき。手がかゆくなるし。