ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

増田聡・谷口文和『音楽未来形 デジタル時代の音楽文化のゆくえ』

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ
同書の参考文献の一つ、吉見俊哉『「声」の資本主義 電話・ラジオ・蓄音機の社会史』(1995年刊)ISBN:4062580489、(それを直接論じたわけではないが)ポケベルから携帯電話への推移に象徴される同時代のメディア状況の変化から受けたインパクトによって可能になった視点から、声をめぐるメディア史を再構成した好著だった。そして『音楽未来形』もまた、CCCDiPOD、MP3などに代表される現状をとらえ直すために、過去を再検証した好作である。音楽を入れる器や音楽流通、その演奏や聞かれかたの歴史や多層性をわかりやすく整理し直している。津田大介だれが「音楽」を殺すのか?ISBN:4798107034、現在の音楽状況を理解するためのいい副読本がまた出たなという印象。
『音楽未来形』は学究である著者たちらしく、現代音楽に至るクラシック系の作品概念史がおさえられる一方、ポピュラー・ミュージックの先端部分と認知されてきたDJカルチャーに大きなウェイトを置いている。同書にもし付け加える部分があるとすれば、わずかな言及ですまされているカラオケや着メロなどに対するより深い考察だろう。
iPODの商品コンセプトを最初にどこかで読んだとき、僕が思ったのは、「カラオケのデータベースを小型化したみたいな形で、無数の音楽を個人で操作できるようになるのだな」ってことだった。音楽をダウンロードする感覚に一般人が初めて接したのが、90年代に普及した通信カラオケだったのではなかったか。着メロは、感覚的にはその延長線上の簡易版なわけだし。
また、通信カラオケは、記号化された音楽の再生であると同時に、その場で歌うことにより生演奏とも化す。そこらへん、『音楽未来形』での演奏/記録/再生/聴取論議とどうかかわるのか、自分には興味がある。同書中で触れられているジュークボックス、あるいは宴会での合唱とカラオケルームは、意味論的にどんな配置になるのか、とか。
著作権をめぐる混乱など、今時の音楽問題に関心を抱いているのは、音楽マニアや批評的意識の強い人が中心だろう。けれど、音楽を楽しむことに関する時代感覚は、カラオケだの着メロだのといったベタな、庶民的で無造作な行為の積み重ねとしてある(その意味で、DJカルチャーなる先端をカラオケなる庶民レベルに連結してみせた小室哲哉は、90年代の“偉人”だった)。
増田id:smasuda&谷口には今後、学究的、先端的な部分だけでなく、そんなベタな部分への踏み込みもお願いしたい。

  • 昨夜の献立
    • のっけ寿司
      • 酢メシ(久しぶりに白米を炊く。酢のもの用の調理済み酢を使用)
      • 具――卵(薄焼きにしようとして失敗。そぼろ、というか、ボロボロ状態)、めんつゆで煮たしいたけ、こぶ漬けめんたいこ、いくらしょうゆ漬け、ゆでて酢漬けしたレンコン、刻みノリ、白ゴマ
    • 茹でたししとう&ピーマンに、煮干炒り子&黒ゴマドレッシング
    • とろろこぶの汁
    • 発泡酒
  • 今夜の献立
    • チキン&ビーンズ(オリーブオイル、刻みニンニク&玉ねぎで鳥肉を炒め、ゆで大豆を投入。ホールトマト、ケチャップ、赤ワイン、ハーブ塩、コショウ、鶏がらスープの素でしばらく煮る。最後にピーマン代わりのししとうを入れる。それを取り出し、パン粉、チーズをのせてオーブンで焼く)
    • レンコンとわかめの酢のもの
    • 白菜とにんじんのスープ(中華だし)
    • たいやき(あんこ、クリーム。もちろん、これだけ市販品。作れませんよ、こんなもん)