ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』

僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」
1971〜86年にNHKで放映された伝説の洋楽番組「ヤング・ミュージック・ショー」について書かれた本。記載された放映リストと自分の記憶を照らし合わせると、僕がこの番組で最初に見たのは、77年のベイ・シティ・ローラーズのスタジオ・(擬似)ライヴだったようだ。クラスの女の子が騒いでるバンドだからまぁ見てみっか、というくらいの気持ちだったと思う。その後、キッス、デヴィッド・ボウイブームタウン・ラッツ、ポリス、カンボジア難民救済コンサート、クイーン、クラッシュのライヴ映像、なぜかブロンディとストラングラーズの組み合わせで流されたPV特集などを見た記憶がある。
本は、記録の多くが失われたその幻の番組から、主だった回を活字の実況中継で再現する趣向になっている。バックにフィル・マンザネラ、ジョン・ウェットン、メル・コリンズのいたブライアン・フェリーのスタジオ・ライヴなど、読んでいると、なぜ自分は見逃したのか本当に悔しくなる。
後に追加映像まで収録して商品化された回もあるのにその点に言及していないこと(『ピンク・フロイド・アット・ポンペイASIN:B0000DBJDMエマーソン・レイク&パーマー展覧会の絵ASIN:B00005HR1N)、番組誕生以前のロック史に触れた導入部分がやや長いこと、ミスがちらほらあること(「ベストヒットUSA」はテレビ東京でなくテレビ朝日でしょう)――など欠点もなくはない。けれど、多くの関係者に取材し、周辺事項を多数盛り込んだ年表を配し、番組の性格を立体的に浮かび上がらせようとした熱意には打たれた。
海外制作の映像を選び流すことで始まった「ヤング・ミュージック・ショー」は、やがて来日アーティストのライヴ記録を自前で制作し始めた。その現場におけるカメラ・ワークや録音の苦労を語った部分は、ロックの“ライヴ映像作品”の基本形がどのようにして出来上がっているかを伝えてくれて大変興味深い。
また、自分はNHKの人形劇「新八犬伝ASIN:B00007GRF6たけれど、「ヤング・ミュージック・ショー」のスタッフが「新八犬伝」にもかかわっていたなんて、初めて知った。その関係で「ヤング・ミュージック・ショー」のイメージ・ショットに辻村ジュサブローの人形が使われ、「新八犬伝」のBGMにフロイドが登場していたというのも知らなかった。「新八犬伝」に夢中だった頃は、まだロックなど聞いてなかったから両者を関係づける術もなかったのだ。


「ヤング・ミュージック・ショー」のディレクター波多野紘一郎は、ラジオ番組「若いこだま」も担当していたという。本では、ラジオの話は、波多野に直接かかわる部分くらいしか出てこない。でも、「ヤング・ミュージック・ショー」が放映されていた時代は、洋楽の情報源としてラジオの地位は高かった。だから、ラジオの話はつつくと面白そうだと思った。
FM番組で誰のどの曲がかかるか、予定表が新聞に掲載されていたような時代である。レコードをボコボコ買えるほど裕福ではなかった自分は、その予定表をチェックし安いカセットテープにマメに録った。そうすると、海外制作のライヴ音源もけっこう聞けた。レッド・ツェッペリンの〈天国への階段〉初演、キング・クリムゾンのデヴィッド・クロス入り〈スターレス〉、クイーンの75年クリスマス・ライヴ、デビュー間もないポリスやデュラン・デュランザ・スミス後期のステージなどなどにNHK FMで接した。
また、「ヤング・ミュージック・ショー」と同様、FMで放送されるライヴにも国内制作のものがあり、クラフトワークホール&オーツの来日公演などは、私的に録音して愛聴させてもらった。高橋幸宏坂本龍一矢野顕子が参加したJAPANのライヴなどは、ゲストのいない公式ライヴ盤よりも遥かに多くの回数聞き返しているくらいだ。こうしたラジオ部門の国内制作にも苦労話はあるはず。
今度は誰か、ラジオを通して国内ロック事情を振り返る企画をやってくれると嬉しい。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050109

  • 今夜の献立
    • 天ぷら(きす、ナス、しいたけはそこそこ揚げられた。でも、ごぼう+ねぎ+エビのかき揚げはバラッバラに。修行せねば)
    • 新じゃがの素揚げ
    • あさり汁(麦味噌+赤味噌
    • 水菜(マヨ)
    • 玄米ごはん
    • 雑酒、チューハイ