ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

鳥飼否宇『痙攣的』とジャーマン・ロック

虫世界で展開する珍品ミステリ『昆虫探偵』ISBN:433473877X、またもや変な小説。
痙攣的
この連作短編集『痙攣的 モンド氏の逆説』の各章&エピローグのタイトルは、ジャーマン・ロックの(旧)邦題である。どう対応しているかというと――

  • 「廃墟と青空」 → FAUST《Ⅳ》ASIN:B000003RUV
  • 「闇の舞踏会」 → CAN《LANDED》ASIN:B000003Z59
  • 「神の鞭」 → AMON DUUL Ⅱ《PHALLUS DEI》ASIN:B00005S3FC
  • 「電子美学」 → NEU!《NEU!2》ASIN:B000056IKU
  • 「人間解体」 → KRAFTWERK《DIE MENSCH−MASCHINE》ASIN:B00000I259

顔を塗ったピン芸人とまぎらわしい“鉄拳”というバンドが「廃墟と青空」に登場するのは、ファウスト=FAUSTがドイツ語で“拳骨”を意味するからだろう(新人バンドの育成譚である点は、『太陽と戦慄』の姉妹編的な印象)。また、“鉄拳”を編成した雑誌編集長兼プロデューサーが“宇部譲”と名づけられているのは、『痙攣的』の参考文献にも掲げられた「ロック・マガジン」の編集長が阿木譲で、ファウストの仕掛け人がウーヴェ・ネテルベックだったことに由来するのだろう(この短編で描かれる謎のバンドや雑誌編集長の“カリスマ性”は、70年代頃にあったロックのファンタジーを反映していると思う。……小説では、バンドのステージで“宇部譲”の死体が見つかった事件は、作中現在の15年前と設定されているけれど)。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050109#p1
ほかにもこの本には、参考文献の評論家(間章椹木野衣)の名をもじった人物が登場し、ジャーマン・ロック関係者の名もパロディにされている。僕が気づいた元ネタだけでも、ハンス=ヨアヒム・イルムラー(ファウスト)、ホルガー・シューカイ(カン)、ダモ鈴木(同)、ジャキ・リーベツァイト(同)、クラウス・ディンガー(ノイ!)、ミヒャエル・ローター(同)、ラルフ・ヒュッター(クラフトワーク)、フローリアン・シュナイダー(同)…………これ以外にもまだまだいるはずだが、ジャーマン・ロックのマニアでない自分には把握しかねます。ホントに、よーやるわ。
これだけのことしてるんだから、ディスクユニオンの新宿プログレッシヴ館は、『痙攣的』を書籍コーナーに平積みにすべきでしょう。
(追記:カンについては間もなく、《モンスター・ムーヴィー》ASIN:B0009J8FEU、紙ジャケで再発される予定)


小説の内容は、「廃墟と青空」がロック・バンドをめぐる事件だったのに対し、「闇の舞踏会」、「神の鞭」は現代アートのイベントに関連する事件で、「電子美学」は謎の研究所が舞台になる。「神の鞭」までは変わったところはあっても、いわゆる“本格ミステリ”の範囲だったのに対し、「電子美学」でトンデモ系に飛ぶ。この一気に違う場所に行ってしまうあたりを“バカミス”として可愛がるか、ふざけすぎだとあきれかえるか。
各短編に共通なのは、アイデンティティやオリジナリティの揺れをモチーフ&テーマにしていること。前半3章にはすべて、正体を隠した覆面アーティストが登場する。また「電子美学」では、複数の人間たちが視覚や聴覚などの感覚をアトランダムに交換しあう装置が出てくる。この装置は、西澤保彦の傑作SFミステリ『人格転移の殺人』ISBN:4062647931“感覚転移の殺人”にアレンジしたような印象で、感覚の覆面ともいえる状態である。
アートや科学を通し、人格の揺らぎと感覚の撹乱を描いたこの連作短編は、一種のサイケデリック=神経拡大。テクノロジーサイケデリックの「電子美学」などは、“テクノデリック”(=YMOのアルバム名ASIN:B00007KKZ7。後に椹木野衣が美術評論のタイトルに“引用” ISBN:408774129X)とさえ呼べるかも。
僕は、突拍子もないサイケ小説として読み、酩酊しました。(とはいえ、単行本化で書き下ろされたエピローグ「人間解体」がまたあくどいし、読んで怒る人はけっこういそうだ)
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20041011#p2


  • 今夜の献立
    • 塩鮭
    • 昨夜の揚げびたしの残り
    • ゆでブロッコリー(マヨ)
    • もやしとニラの味噌汁
    • 玄米1:白米1のごはん