けっこう評判がいいので読んでみた。いい新書だった。
テレビとの関係やオーディオの進化など、音楽の送り手・受け手双方のインフラの変化をたどり、“Jポップ”の誕生と盛衰を分析している。それも、いわゆる“シーンの先端”より、カラオケや着メロといった、ごく一般的でベタな音楽消費の分析に力点をおいている。このへんのスタンスは、「〇〇ファン」「××マニア」といったあらかじめ予想できるゾーンではなく、不特定多数相手に書く新聞記者からキャリアを始めた人ならでは、という印象。意図したはずもないが、結果的に『音楽未来形』と補完しあう本になっている。両方を読めば、日本の流行音楽産業をめぐる“現代史”がかなり見えやすくなるだろう。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050324)
烏賀陽は同書でカラオケについて、自己表現の商品化、自己定義のための消費行為などと解釈している。カラオケというできあいのフォーマットを使い“自己表現”しようとする性向は、既存作品をパロディにした二次創作で“自己表現”する同人誌文化ともパラレル。“自己表現”のためにはオリジナリティなどかまってられるか――という妙な矛盾が堂々とまかり通っているわけ(べつに批判してるんじゃない。自分もカラオケ嫌いじゃないし)。
最近、この雑記で「エアチェック」ということに何度か触れた。『Jポップとは何か』では「エアチェック」に関し、〔音質がAMに比べて高いFMを受信し、カセットテープに録音して音楽ソースとして楽しむこと〕と説明している。そして、烏賀陽は、「エアチェック」を廃れさせるきっかけとなったJ−WAVEこそ、「Jポップ」の名づけ親だったと指摘することから、この本を始めている。
確かに、エアチェックの時代とそれ以後で流行音楽の時代は分けられる気がする。また、ラジオの電波をチェックしたかつての行為と、ネットで検索しダウンロードする現在の行為では、似ているようでかなり距離がある。そのへんを簡単に説明する言葉を見つけられたらなぁ、とか自分は思う。
また同書には、開局当時に洋楽ばかりかけていたJ−WAVEが、「都会的」「多文化的」「スタイリッシュ」なイメージを守るため、〔千葉や江東区から来たリクエスト葉書は読まないことにしていた〕なんて逸話が出てくる。千葉県浦安市在住の身としては、思わずムッとするわけだが(大笑。ああ、郷土愛)、考えてみると東京ディズニーリゾートの位置する浦安市“舞浜”は、マイアミを真似た地名なのだった。83年開業の東京ディズニーランドと88年開局のJ−WAVEは、“脱日本”=世界標準への憧れが現実化すると浮かれた80年代的な空気に始まった点において、同じ穴のむじななのであった。
- 3日夜の献立
- 6日夜の献立