ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

映画『リンダ リンダ リンダ』

ギターが指を骨折し、ヴォーカルまで抜けてしまった高校生ガールズ・バンド。キーボードの女の子は、やめたヴォーカルへの微妙な対抗心から担当楽器をギターにかえ、新編成で文化祭に出演することを決意する。そして、新ヴォーカルに韓国人留学生ソンさんを迎えたバンド=パーランマウムは、ブルーハーツリンダリンダ〉のコピーを猛練習するのだった……。
ウォーターボーイズ』以後だろうか、出演者たちになにかを特訓させ、その達成感を作品にする青春モノが幅を利かせている。青少年犯罪が物議をかもす一方、こうした“甲子園”タイプの感動が今でも通用するのだから、世の中意外に健全だと思う。山下敦弘監督の『リンダ リンダ リンダ』も、そんな特訓&達成感が生む熱気をセールスポイントとする映画の一つ。
でも、この映画の美点は、熱気をテンポよく見せると同時に、高校生活ならではのかったるさを映し出したことにある。
部活、文化祭、恋など、気になることはいろいろあって一生懸命にもなるけど、心のどこかに「やって意味あんのかな」って思いがある。「 」内は抜けたヴォーカルの捨て科白であり、それに反発したキーボードがバンド存続へ意地になるわけだが、物語では「 」内の言葉がどこかエコーみたいにつきまとう。当然、バンドの熱心な練習風景が描かれていくが、それは緊張がひたすら続くのではなく、ダラダラした時間もはさまれるものとして映像は編集されている。熱気とかったるさの入り混じったこのへんの感覚こそ、リアルに感じられる。
クライマックスの演奏シーンでは、めちゃめちゃ上達したといえるほどではないが、元気に完奏できるようにはなったバンド相手に、体育館の前のほうの観衆が踊り始める。でも、カメラが引くと、踊る連中の後ろに体育座りしているやつらも少なくないのが映るのだ。文化祭の最終日特有の甘いかったるさが、ちゃんとすくい取られている。
スクリーン全体を変に感動で覆いつくさないのがいい。べつに全員が熱狂してくれなくたって、彼女たちなりになにかを得た実感はある――と映画は語る。その語り口が好ましい。
we are PARANMAUM
留学生ソンさん役のペ・ドゥナの表情や演技が面白い。コミュニケーション・ギャップに伴うコメディが、この映画のノリを作っている。
文化祭前には、ソンさんと女性教師が日韓の文化交流を謳った展示の準備をしている。教科書的な説明書きばかり多く、文化祭では不人気な展示の典型である。そんなソンさんには、日本では小学生以外の話相手はいなかったようで、偶然バンドに入ったことでやっと友だちができたらしい。交流という言葉の理念より、実際に近づいてなにかを一緒にやったほうが理解しあえる――そうしたテーマ性が、映画にはわかりやすく用意されている。
ただ、狙いはもう一つあったと推察する。ブルーハーツの魅力の多くは、甲本ヒロトが日本語をああ歌ったことにある(映画には弟・甲本雅裕が出演)。シンプルな日本語を、言語の習得あるいはリハビリ過程であるかのごとく、たどたどしさの一歩手前くらいで歌う。それゆえに言葉や声がみずみずしく生々しく聞こえた。韓国人をキャスティングすることで、あの感覚を狙ったのではないか。それは、けっこう上手くいったと感じる。


ところで、演奏時刻に遅刻したバンドのために、場つなぎで指を骨折した子が歌う場面がある。そこで、はっぴいえんどの〈風来坊〉を披露するのが湯川潮音。もとは細野晴臣の低い声で作られた曲を澄んだ高音で歌っていて、劇中ではブルハの楽曲群と同じくらい印象に残った。
(映画は7月23日より公開)