ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

絲山秋子、エイドリアン・ブリュー

昨日、芥川賞に、絲山秋子沖で待つ」が選ばれた。


そういえば、「群像」2005年12月号(特集 ロックと文学)掲載の絲山秋子×ロビン・ヒッチコック対談によると、絲山のデビュー作は、キング・クリムゾンディシプリン》収録の〈エレファント・トーク〉の詞からとって、『イッツ・オンリー・トーク』と名づけられたそうな。
イッツ・オンリー・トーク
ディシプリン (紙ジャケット仕様)
デビュー時のクリムゾンには、ピート・シンフィールドという作詞担当メンバーがいて、装飾的でファンタジー風な歌詞が、このバンドの“文学的”イメージをになっていた。彼が脱退した後にも、メンバーではないけどリチャード・パーマー・ジェイムズという作詞担当がついて、70年代クリムゾンの“文学的”イメージは継続された。
けれど、バンドが80年代に再結成された時、かつての“文学的”イメージをなくしたクリムゾンを、保守的な旧来型ファンは嫌うことになる。ヴォーカル&ギターのとってもアメリカンなエイドリアン・ブリューが、詞まで担当したのが“文学的”イメージ喪失の原因だった。
そんな、ブリュー風を代表する曲こそ、〈エレファント・トーク〉。Aで始まる単語を並べ、Bで始まる単語を並べ、Cで〜、Dで〜と続いていく歌。ストーリー性も幻想性もない言葉遊び。そのうえ、ブリューはそんな言葉の断片まで打ち消すみたいに、パオーン、パオーン! と、像の鳴き声に似せたギターを轟かせたのだった。
「物語性の拒否 → 言語実験」みたいなアングルでとらえれば、ブリューの作詞だって、“現代文学的”と呼べなくもないものだったんですけれど……。
というわけで、“文学的”でないとされた〈エレファント・トーク〉の一節を題名にしてデビューした絲山秋子が、“文学”の象徴とされる芥川賞を受賞するに至った経緯を、“現代文学的”なのかな――と妄想する自分であった。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20041011#p2 / http://d.hatena.ne.jp/ending/20050802
僕は好きだよ、〈エレファント・トーク〉。トニー・レヴィンのスティックが活きてるし。


直木賞のほうは、東野圭吾『容疑者Xの献身』でしたね。(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20060103#p1

  • 18日夜の献立
    • めだいの酒蒸し(酒、しょうゆ、香酢、ねぎ、しょうが。最後に熱したにんにくゴマ油
    • ゆでキャベツに「漁師のねばりこんぶ」、ポン酢
    • ワカメと玉ねぎのスープ(欧風だし)
    • 玄米ごはんに白ごま