ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

地下鉄博物館

千葉市に生まれ育ち(千葉大学近く、西千葉駅周辺の住宅地)、今浦安市に住む僕にとって、地下鉄東西線は東京への“足”であり続けている。なのに、東西線葛西駅のすぐ下にある地下鉄博物館には、これまで一度も行ったことがなかった。
たまたま、同所で「日比谷線東西線の誕生物語」という企画展をやっていることを知った。
http://www.chikahaku.jp/
地元の歴史を振り返るいい機会だから、地下鉄博物館に初めて行ってみた。
旧車両、運転シミュレーター、東京メトロ各線の模型が走り回るメトロパノラマなどの展示は、もう、単純に楽しい。
僕は普通の男の子だったので、幼稚園の頃は電車が好きだったし、よくプラレールで遊んでいた。それ以上に好きだったのが、電車の路線図だ。もらってきた現実の路線図に、自分の空想した新線を書き加えてしまうのが、やたら楽しかった。なにやら世界を牛耳っているような、子どもっぽい支配欲を満たす遊びだったんだろう。
博物館で地下鉄の歴史を描いたパネルを順繰りに見ると、当然、図の路線の数がどんどん増えていく。それを眺めるうち、子どもの頃みたいに新線を書き込みたい欲求が高まってきた。よしゃ、いっちょ政治家にでもなってやるか(笑)。
(幼稚園時代には、地下鉄路線図と同様に、楽譜を書く遊びもした。家にオルガンしかなかったのに、ピアノをちょこっと習わされていたのだ。音符からメロディがすぐ思い浮かぶような技は、まったく身につかなかった。でも、楽譜にあれこれ記号が並んでいるのを見るのは大好きだった。やがて、出来合いの楽譜だけでは満足できなくなり、広告チラシの裏に五線を引いては、自分で勝手に作ったマークや音符をどんどん書き込んだ。もちろん、音楽になどなっていなかったし、落書きにすぎない。特撮番組を好きな男子が新怪獣や新怪人を発明したがるみたいに、僕は地下鉄新線やマークを並べるだけの“作曲”で、創造主=クリエイター気分を味わったのだった)


1964年に高田馬場−九段下の間で開業した東西線は両方向に線を延ばしていき、69年に千葉方面は西船橋まで到達した。これにより、総武線と接続した。
父親に連れられ初めて東西線に乗った時を思い出す。新しい地下鉄だと期待したのに、(西船橋から西葛西まで)地上を走り続けるから、幼い僕はひどく裏切られた気がした。車両はせっかくメタリックで未来っぽいのに、窓から見えるのは、田舎臭い田んぼばかりじゃないかっ。その時の失望を、地下鉄博物館に展示された開通当時の沿線風景写真で思い出した。
ところが今では、その沿線に自分が住んでいるのだ。あんなに田舎だった浦安や行徳が、こんなにごみごみした住宅街になるなんて、あの頃の僕にはまるで想像できなかった……。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20051201#p1

  • 29日夜の献立
    • かきとター菜のオイスターソース炒め(かきは小麦粉をはたき、先に焼く。サラダ油、ごま油、にんにく、しょうが、こしょう)
    • じゃがいも、にんじん、えりんぎ、長ネギのスープ(欧風だし、こしょう)
    • きんぴらの残り
    • 玄米ごはん
    • 雑酒
  • 30日夜の献立
    • あじのオリーブオイル焼き(しょうゆ、白ワイン、おろししょうがに漬けたあじに小麦粉はたいて、オリーブオイル&にんにくスライス)
    • ゆでブロッコリーにマヨ
    • ほうれん草の味噌汁
    • 玄米ごはん
    • 雑酒、チューハイ