ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

ブライアン・イーノ 音楽映像インスタレーション展

昨日、ラフォーレミュージアム原宿で、「77 MILLION AN AUDIO VISUAL INSTALLATION BY BRIAN ENO」をみた。
うす暗い空間のあちこちにモニターが設置され、そこに抽象絵画がフェイドイン/フェイドアウトを繰り返しながら映し出されている。その場にはもちろん、ブライアン・イーノ作のアンビエント・ミュージックが流れている。
イーノ曰く。

考えて欲しい、テレビはもう物語を伝える為のものではなく、絵画を見せてくれるものだと。絵は常に変化していて、違う絵に移行していく。その組み合わせが77,000,000とおりある。だからこれはゆっくりと変化する光の絵なんだよ。
(チラシより)

このコンセプトを鮮明にするため、会場では、プリントアウトしたもう変化しない絵と、変化する絵を映すモニターとを並べた展示もあった(昔のブラウン管みたいな曲面とは異なり、現在ではモニターがすっかり平面になったからこそ、平面の絵と並べても遜色ないようになった。もちろん、解像度の向上も寄与している。そうした技術的進歩に対する感慨を覚えましたね)。
ヴィデオ・デッキが一般にまで普及する1980年代までなら、こうしたヴィデオ・インスタレーションには、もの珍しさや未来への可能性などが感じられた。ところが今では、家庭にはテレビだけでなく、パソコンの画面が普通にあるわけだ。そのパソコンでは、文書や図表の作成などをしばらく休憩しキーボードに触れないでいると、すっと幾何学模様が浮かび、どんどんパターンを変化させていく仕掛けが、ごくありふれた機能として用意されている。「変化する光の絵」が、出来合いのシステムとして普通の部屋に入り込んでいるのだ。モニターをめぐるそうした現状からすると、イーノによるこのインスタレーションは、あまりに朴訥といえる。
見方を変えれば、イーノはモニターの機能を“発光”に限ることにより、あえて退化させている(彼がかつてプロデュースしたバンドのコンセプトで言えば“ディーヴォ”)。そして、イーノのアンビエント・ミュージックが、メロディや構成を取っ払い、音楽をある種退化させることをコンセプトとしているのを考えれば、彼のモニターに対する態度は作曲姿勢とよく釣り合っている。
フェイドイン/フェイドアウトする「光の絵」からは、フリップ&イーノの延長でロバート・フリップがこしらえたフリッパートロニクスのテープループ・システムに近い印象を受けた。暗い中、ああいう画面をのんきに眺めているのは、けっこう気持ちいいです。
(会期は4月3日までhttp://www.lapnet.jp/event_info/lm/swf/060324_77million/77million.html
(この「光の絵」はDVD−ROMになっている。http://www.bounce.com/news/daily.php/7544

(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050714#p1