ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「団塊パンチ」創刊2号のビートルズ特集

団塊パンチ (2)

団塊パンチ (2)

「元気な50代のための意識革命マガジン」を自称する団塊世代向けの雑誌が、「ビートルズは過去にならない」と題した特集を組んでいる。当然、特集全体としては、回顧的なトーンにならざるをえない。
近年の“大人のロック”小ブームは、仕事から離れた団塊世代が、若い頃の気分に戻ることを見込んで展開されている。人は老いると聞き分けがなくなる反面、無邪気にもなるもので、まるで赤子にかえるようだ――などとよくいう。特に認知力の落ちた老人に関し、そんななぐさめが聞かれる。僕がいわゆる“大人のロック”に感じるいらだたしさは、結局、その種の子どもがえりを期待したブームなのであれば、“大人”ではなく“子どもモドキのロック”なんじゃないの? ってこと。
それに対し、「団塊パンチ」のビートルズ特集は、若い頃を懐かしむだけでは、子どもがえりさせるだけでは終わらせないぞ、という編集姿勢が垣間見られる点が好ましい。
中山康樹による「オノ・ヨーコの『罪と罰』――ヨーコよ、そっとしておいてほしい」は、あの未亡人によるジョン・レノン史の改竄を糾弾した評論。中山の指摘はとても真っ当なものだ。ただし、これを旧いビートルズ・ファンに向けて語ると、彼らの“美しい思い出”を擁護してくれる文章として働いてしまう恐れがある。
ところが、もう一方で「団塊パンチ」は、海野弘に「灰色になったビートルズ――『グレイ・アルバム』を聴きながら浮かんできたこと」という評論を書かせている。DJデンジャー・マウスが、ジェイ−Z《ブラック・アルバム》とビートルズ《ホワイト・アルバム》を《グレイ・アルバム》にマッシュ・アップして物議を醸した件について、海野は好意的に評している。
つまり、今回の特集では、ヨーコによる私的改竄を否定する一方、デンジャー・マウスの創造的改竄は肯定しているのだ。記憶を私的に美化するのでなく、創造的に活性化すること。これこそ、50代の意識革命だという主張か。
http://www.youtube.com/watch?v=3zJqihkLcGc&search=grey%20album


特集のイントロダクションとして、赤田祐一編集長が、「『永遠』と『新鮮』の結晶化 you tubeで見たビートルズ」という文章を記している。〔ビースティ・ボーイズにも似た、やんちゃそうな男の子たち三人〕が、カーステから流れる〈レット・イット・ビー〉と一緒に歌う映像に感動したというエッセイだ。
http://www.youtube.com/watch?v=_XTvkN43DmQ&search=car%20singing%20let%20it%20be


まぁ、50代のうち、どれだけがyou tubeやマッシュ・アップに親しんでいるのか、疑問がなくはない。また、喩えとしてビースティ・ボーイズを出して、いったい通じるのか? とか(そういえば、ビースティーズビートルズマッシュ・アップにも秀逸なものがあったね。The Beastles名義で)。
とはいえ、回顧したがっているだろう読者層に対し、現在性というノイズを混ぜて提供しようとする赤田の態度は面白い。なるほど「クイック・ジャパン」を立ち上げた人だな、と思う。このへんが、50代ではないくせに、僕が「団塊パンチ」を読む理由である。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20051111#p1