- 作者: ジョンレノン,オノヨーコ,John Lennon,新井満
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2006/08
- メディア: 単行本
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気になっていた本である。反戦歌として有名すぎるジョン・レノン作〈イマジン〉を、新井満が自由に意訳したもの。オノ・ヨーコとの対談も収録されており、あの未亡人からお墨付きをもらった格好だ。あらかじめ懸念していたことではあるけど、読んでいてあまり居心地よくはない。
この自由訳は、〈イマジン〉に関する新井の解釈も織り込んでいるため、原詞よりも長く散文的になっている。そのところどころに、写真が挿入される。
地球、空、花、戦火、墓地、飢える子ども、笑顔の子ども……。
母なる自然、愚かな人類――とでもいおうか、メッセージの方向性、被写体、構図、いずれの面でも典型的な写真ばかりが選ばれている。
そして、活字だけの詩のページがしばらく続くと、その一節が大きな文字にされて写真のページにも抜き出される。その繰り返しで、本はできている。
例えば、
そして/全ての人々は/過去でもなく/未来でもなく/かけがえのない今日という日を/けなげに/いっしょうけんめいに/生きているんだ
(注:原文は「/」のところで改行)
と書いてあると、次に雲の浮かぶ空の写真が登場し、
けなげに
いっしょうけんめいに
生きているんだ
――と、より大きな字で繰り返される。
なんだか、体育館で卒業生が一人ひとりセリフを分担し、長いお別れの挨拶を演じる最中、ここぞという部分を全員で唱和するあの風景みたいだ(「夏休み」、「楽しかった夏休み!!」、とか)。どうも、気恥ずかしい。
最大公約数的な写真のセレクトといい、全員が続いて唱和してくれるのを前提にしたような言葉の繰り返しといい、どうなのだろう。ジョン・レノンの言葉は多くの人に共有されて当たり前だ、合唱されるべきだという楽観性(そして、オノ・ヨーコ的な独善性)が目立つ。“〈イマジン〉の一般性”を信じ、期待することに、流されていないか。
また、写真ページにおける言葉の反復は、もともと新井自身の詩を構成する一部なのか。それとも、完成した詩から、本の演出として、ところどころ抜粋し写真と組み合わせたのかも判然としない。作り手側の個人性が、曖昧になってしまっている。
〈イマジン〉には、動かしがたい現実に対しユートピアを夢想する歌というイメージがある。だが、新井満の意訳はそうではない。戦争を始める者がこの先に待っていると主張する天国/地獄、人々の心の中にある国境線――そんな共同幻想とはべつの状態を、個人個人が想像しようと訳しているのだ。このように新井が、“現実”ではなく「共同幻想VS.個々人の想像力」ととらえたことは、適確な〈イマジン〉解釈だと思える。それだけに、本全体の性格が曖昧になってしまったのは残念。
(この本の構成から思い出すのは、「PHOTO IS」のフレーズと〈イマジン〉を組み合わせた例のCMなわけだが……。http://d.hatena.ne.jp/ending/20051111#p1)
(〈イマジン〉の自由なカヴァーとして秀逸なのは、こちら。http://d.hatena.ne.jp/ending/20050110#p1)
そういえば昔、大槻ケンヂなども参加した『僕にはこう聴こえる ロック訳詞集』(92年)ASIN:478372427X、町田康になる前の町田町蔵がレノンの〈マザー〉を「おかん」と訳し、ただでさえ個人的な歌をいっそう私的な響きに変えていたっけ。