ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

さらに、自分探し、『犬神家の一族』、『さよなら妖精』

市川崑監督『犬神家の一族

犬神家の一族 通常版 [DVD]
市川崑監督が亡くなったのに伴い、先月、映画『犬神家の一族』がテレビで放映された。
この物語においては、太平洋戦争において自分のミスが原因で部隊を全滅させてしまったという自責の念を持つ者が、大量殺人事件にかかわることになる。しかし、その者は、昔からよく知る人物と最終的には結ばれることが約束され、物語は終わる。事件の真相が解明されるとともに、その人物は相手への自分の想いを自覚することになるのだ。
犬神家の一族』におけるラヴ・ロマンスは、周囲に死体がたくさん転がっていたがゆえに、ドラマティックになった――という構造を持つ。
しかし、『犬神家』の登場人物の戦争参加は、本人が好き好んでそうしたのではなく、国に強制されて行かざるをえなかったのである。
ところが、『自分探しが止まらない』で記されているように、イラク日本人人質事件の場合、人質たちが自分探しのノリで好き好んで戦場に向かった行為が、批判された。厳しい言いかたをすれば、彼らは、自分の人生をショー・アップするための背景として、死体の転がる戦場を欲しがったことの自己責任が問われたのだ。

イラク日本人人質事件

全身当事者主義―死んでたまるか戦略会議
最近、出た雨宮処凛の対話集『全身当事者主義』には、人質事件のヒロインだった高遠菜穂子も登場している。そこで雨宮は、行動を起こした高遠を批判した人々は、彼女がうらやましかったのだろうと述べる。雨宮の発言は、ある程度、当たっていると思う。
戦場に向かう美少女と、それを見守るしかないボク――というのは、オタク的想像力ではよく好まれたパターンだった。これに対し、高遠は、戦闘美少女と呼ぶには年齢が上だったものの、実際に現地に行ってしまったのであり、同時に人質になった今井紀明は、未成年の少年でありながら見守るだけでなく、やはり現実に動いてしまったのだ。これは自分では行動せず、戦闘美少女的なファンタジーを安全圏で楽しんでいる一般人を、十分いらだたせるものだった。

米澤穂信さよなら妖精

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)
上記のイラク日本人人質事件(高遠、今井らが拘束された事件)が起きたのは2004年4月のことだったが、その2ヵ月前に米澤穂信が『さよなら妖精』を刊行していたことは皮肉である。同書は発表当時、いわゆる「セカイ系」に関して批評的な小説として読まれた。後に「ユリイカ」で米澤穂信を特集した時には、「ポスト・セカイ系のささやかな冒険」という副題がつけられてもいたasin:4791701607
91年の物語である『さよなら妖精』では、国内紛争で揺れるユーゴスラヴィアから来た少女、マーヤと、日本の普通の男子高校生、守屋の交流が描かれる。守屋はなにかしたいと彼なりに考え、「ユーゴスラヴィアに連れていってくれ」とマーヤに頼む。だが、マーヤは、守屋は観光したいだけだといい、「だめです」とはっきり拒絶する。彼は後になって、次のように回想する。

 あのときのおれは、マーヤが引き連れてきた世界の魅力に幻惑されていた。やっと現れた「劇的」(ルビ:ドラマティック)にすがりたかっただけだった。

読んでわかる通り、『さよなら妖精』はセカイ系批判であると同時に、自分探し批判になっている。自分を探すため紛争地域に行こうとするよりも先に、もし、実際に紛争の現場に生きてきた人のほうがやって来て、その人と会話したら、自分探し願望者はどう考えるのか。それを書いた小説なのである。高遠菜穂子は、『さよなら妖精』にどんな感想を持つのだろうか。聞いてみたい気がする。
愛してるって、どう言うの?―生きる意味を探す旅の途中で


ちなみに僕は、「自分」は冷蔵庫みたいなものだと思ってきたし、まず、そこにある食材でどう料理できるかを考えるを人間だ。冷蔵庫だからといって、いつまでもいれておけば材料はいたんだり、冷蔵庫臭くなったりする。また、食材は買い足さねばならないが、料理する腕、予算とも限界があることは知っておかねばならない。時には出来合いの惣菜で済ませることがあってもいいけど、そればかりでは体に悪い。だから、腕や予算の向上に努めるだけ。
自分の腕や予算を考えないで、いきなり幻の食材を求めて旅に出るような発想は、僕にはなかった。

  • 7日夜の献立
    • 豚肉のソテー(にんにく、しょうが、ローズマリー、白ワイン、りんごシロップ、塩、こしょう。炒め玉ねぎ)
    • ゆでたほうれん草に梅しそ塩ひじきをまぜまぜ
    • 切干大根
    • 枝豆+かずのこ
    • わかめの味噌汁
    • 玄米ごはん
    • 雑酒