変に聞こえるかもしれないが、僕にとって、佐々木敦『ニッポンの思想』の読後感は、イアン・コンドリー『日本のヒップホップ 文化クローバリゼーションの〈現場〉』の読後感に近いところがあった。前者は現代思想、後者はヒップホップをテーマにした本であり、かけ離れたジャンルを扱っている。しかし、80年代から現在までの見取り図という意味では、ちょっと似た構図になっているのだ。
80年代に関して、前者ではフランス現代思想、後者ではアメリカのヒップホップを輸入した光景が描かれ、90年代以降については、それぞれのジャンルの重心がドメスティックな方向にふれた様子が語られる。その文脈において、前者では「J回帰」、後者では「Jラップ」という言葉が出てくる。
で、『日本のヒップホップ』では、90年代の日本の文化状況を説明するにあたり宮台真司の「島宇宙」という用語が使われるのに対し、『ニッポンの思想』では90年代思想の重要人物として、福田和也、大塚英志とともに当然、宮台の名もあげられていたのだった。
また、『ニッポンの思想』では、演技=競技=遊戯の場で思想のプレイヤーがパフォーマンスしているのがこのジャンルだという認識が示される。一方、『日本のヒップホップ』では、フリースタイルのラップ・バトルで競い合うパフォーマーたちの姿が繰り返し語られる。考えてみれば、自己主張合戦という意味で、思想市場とヒップホップ市場は似通っている。
このように、特定ジャンルの形成、変化を追ったこれら2冊には、共通した要素が少なくない。だから、並べて読むと、この国でどのような力学が働いているのか、海外への関心と“日本”という自意識のバランスの変遷――などが現代思想、ヒップホップの2つの視点から立体的に浮かび上がるようで面白い。
佐々木は『ニッポンの思想』プロローグで、日本の思想の流れに関しては80年代に切断があったとする見方を記し、同書では切断以前、切断以後を「日本」/「ニッポン」で表していた。これは、磯田光一『左翼がサヨクになるとき』(1986年)の「左翼」/「サヨク」とパラレルだととらえていいだろうか。asin:4087725839
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