ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「不安の受容」

 原発事故後の放射能汚染、地下鉄サリン事件後のテロ、80年代のエイズ、70年代の公害……。実態をよくつかめないまま盛んに報道され不安や恐怖が煽られるけれど、それが続きすぎて日常になってしまうと人々はやがて慣れ、気にしなくなっていく。そんな「不安の受容」は過去に何度もあったというのに、上手な慣れかたを社会として覚えられない。世界的規模の広まりをみせる新型コロナウイルスに対して各国の人々は、相変わらず右往左往している。

 問題に関して「対策を進める」と「日常になって慣れる」をどうすりあわせていくのか。過去の「不安の受容」はどのような過程をたどったのか。あらためてたどり直したい。手頃な資料があれば読んでみたい。