ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

乙一『銃とチョコレート』

銃とチョコレート (ミステリーランド)
〔かつて子どもだったあなたと少年少女のための――〕と銘打たれた〈ミステリーランド〉の一冊として、乙一を読む。考えてみると、これは、ちょっと不思議なことかも。
〔少年少女のための〕本としてライトノベルに視線が集まり始め、「ファウスト」に象徴される領域に勢いがみられたちょうどその時期に、〈ミステリーランド〉は立ち上げられた。このレーベルは、ラノベ登場以前にあった〔少年少女のための〕“ジュブナイル”的な物語の復権を、基本線にしていると思う。そうしたテイストとしては、有栖川有栖『虹果て村の秘密』などが代表格だろう。
だから、ラノベ出身の乙一が“ジュブナイル”的な〈ミステリーランド〉に作品を寄せたらどうなるのか、興味があった。そして、実際にこのよくできたお話を読んでみて、ああ、乙一はこのレーベルで書いても浮かないんだな、と妙に感心した。
『銃とチョコレート』では、「正義」に関する皮肉なアングルが用意されている。でも、それによって話がグシャグシャになることはない。他の「ファウスト」系作品、過剰さを抱えたラノベ系作品の場合、語り手の自意識の歪みと作中世界の歪みがイタチゴッコになっていて、その混乱ぶりが面白かったりする。ところが、乙一は違っていて、登場人物に対しても作品世界に対しても冷静に距離をとり続ける。変な言い方になるが、まるで、“おとな”が書いた“ジュブナイル”のようでもある(今さら指摘するまでもないが、現在の二十代が“おとな”の作家として書くことは、ほとんどない)。
振り返れば乙一は、デビュー作からすでにこの冷静な距離感で書いていたのだ。根っからの物語作家だなぁ、と思う。


(注:〈ミステリーランド〉からは、麻耶雄嵩神様ゲーム』のように、これで子ども向け? という要素(残酷だったり辛らつだったり)を持つ作品も複数刊行されている。つまり、昔ながらの“ジュブナイル”を懐かしむだけのレーベルではないわけで、ここにも〔少年少女のための〕本の変質は刻印されている)
(注2:今日の雑記における“おとな”は、冷静な距離感を持った人という意味。分別臭いという意味ではない)