ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

大竹伸朗『全景1955−2006』

昨日、会期終了間際の『全景』展を、東京都現代美術館で見てきた。
まず、順路の最初のほうに展示されたスクラップブック全64冊に圧倒される。あれやこれやが切り貼りされたこれらスクラップブックが冒頭に置かれることで、『全景』展全体がスクラップブックであると暗示される。たとえ、「網膜」シリーズのような大きな作品群であっても、展覧会全体のコンセプトからすると、スクラップされた“断片”にすぎない。小学生時代の落書きから最新作まで2000点、4tトラック25台で搬入したというこの物量にこそ意味がある。
スクラップブックを筆頭にいろいろな要素をコラージュした作品が多く、その情報を詰め込む様子に凄みを感じる。切り貼りされた情報の一つ一つは、まあ無益といっていい代物だが、それをギチギチと詰め込むしぐさ自体に意味が生じる。
森健が『グーグル・アマゾン化する社会』ASIN:4334033695「グーグルのサーバーには、世界中のウェブサイトが格納されている」、グーグルは「世界をデータベース化する」と書いていたような現状がある。衛星からの画像が見られる「グーグル・アース」というサービス(← 吉本隆明的にいえば「世界視線」か)に象徴される通り、グーグルは、世界の情報まるごとを自分たちのシステムに詰め込もうとしている。それは、グーグルによる世界の“全景”化なのだろう。
そうしたことを意識すると、大竹の『全景』展において、闇雲に詰め込まれた情報の一つ一つに残された作者の手つきは、グーグルみたいな巨大なシステムのありように、個人が張り合っているみたいに思えてくる。そんなシステムのオルタナティヴとなる、一個人としての情報集積のやりかたがありうるのだと、無謀にも訴えているように見えて、なにやら感動してしまう。


館内を回っている最中、小学校一、二年生の5、6人を相手に、学芸員が説明しているところに出くわした。掘っ立て小屋にギターやアンプ、ターンテーブルレーザーディスク・カラオケなどを置き、壁や天井にコラージュを施した「ダブ平&ニューシャネル」のコーナーである。
「さあ、みんな、なにが見えるかな?」
「ちょうちょ!」
「ギター!!」
モナリザ!!!」
学芸員の問いかけに、子どもたちは切り貼り作品のなかから自分が見つけた“部分”をノリノリで答える。彼らがハイテンションになっている様子が、とても面白い。大竹伸朗的な色使いが、子どもたちを興奮させるのだろうか。
帰りがけ、「美術手帖」の『全景』特集号を買った。大竹とノイズ・ユニット、パズルパンクスを組んでいるヤマタカEYヨが、『全景』展から5つを選んでコメントしている。当然のように、「ダブ平&ニューシャネル」も取り上げている。そこでのEYヨ発言の一部。

カーテンはラスタ・カラーですね。スリッツのレア盤が貼ってあるのがうれしい! かっこいいなあ。お、ポップ・グループのレア盤まである。

あれ見つけたこれ見つけたって、まるで小学生と同じ反応じゃん。いかにもEYヨらしくて、とってもおかしい。


ところで、その山塚アイが組んでいるボアダムズのかつての名盤が、《チョコレート・シンセサイザーASIN:B00005HII2った。チョコレート・シンセサイザーという言葉は、大竹伸朗の作風の形容詞にふさわしいと思うのだが、どうか。
美術手帖 2006年 12月号 [雑誌]
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20061115#p1


(24日追記)グーグル、アマゾン、あるいはテーマパークといった手法に、自分は愛憎半ばする感情を抱いている。それらが提供するエンタテイメント、利便性を楽しむ一方、そうした管理の手法に息苦しさを覚える自分もいる。思いは複雑なのだ。