ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

ミュージカル『the WHO’s TOMMY』

昨年、ブロードウェイ版『トミー』の日本公演があった。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20060319#p1
一方、昨夜見たこちらは、「劇団☆新感線」のいのうえひでのり演出による日本語版。同じ曲を使っていてストーリーの基本線も同じだというのに、演出でこうも印象が変わるのかと感心した。
歌、ダンス、スクリーンを多用した美術、クレーンの使用など、すべてにおいて、ブロードウェイ版よりもメリハリが効いている。あちらの演出がやや写実的だったのに比べ、こちらはカラフルであり、サイケデリックさが目立っていたケン・ラッセル監督の映画版のほうに接近している。
いのうえの演出では、三重苦のトミー(中川晃教)を取り囲む人々の歌い踊る騒ぎが強調され、主人公の孤独がより鮮明になっている。また、アーニー伯父さん(右近健一)、いとこのケヴィン(ローリー)、アシッドクィーン(ソムン・タク)といったキャラの登場場面が、ブロードウェイ版よりも思い切りがいい。性的、暴力的な描写が、いい意味で“俗悪”であり、ロック・ミュージカル的なダイナミックさ、にぎやかさは、この日本語版のほうが勝っている。
青年トミーと子どもトミーが同時に登場して向かいあうのは、ブロードウェイ版にもあった演出だが、絶妙だと思ったのは人形の使用。いとこにいじめられている最中のトミーが、人形にすり替わる。グニャグニャになって、投げられてしまう人形トミー。その人形がさらに着ぐるみのキャラにすり替わって踊りだし、青年トミーと並んで舞台に立つ。トミーの内面における無力感、高揚を、人形 → 着ぐるみのダンス、という舞台映えのする方法で演出している点がよい。
このように全体的にいい舞台だったと思うが、エンディングの意味はやはり判然としない。トミーが高みに上っていって終わるのは、映画版と同じだ。しかし、トミーから遠ざかっていったはずの他の人々が唐突にまた出てきて、彼と大合唱するのは、主人公が社会と和解したという意味なのか(そうだとしても、きっかけが見えない)、フィナーレだから全員出しましたというだけの話なのか、よくわからない。
まぁ、エンディングについては、もともとピート・タウンゼントの歌詞自体、意味のつかみにくいものだから、いくらでも解釈のしようはあるわけだが……。

The Who's Tommy: Original Cast Recording - Highlights (1992 Broadway Revival)

The Who's Tommy: Original Cast Recording - Highlights (1992 Broadway Revival)

劇場でもらったチラシによると、「劇団☆新感線」の次の公演は、『犬顔家の一族の陰謀 〜金田真一耕助之介の事件です。ノート』。宣伝文句は、「たたりじゃ! 犬顔はたたりじゃ!!」……。
http://www.sunshinecity.co.jp/event/inugaoke.html

  • 28日夜の献立
    • かじきの照り焼き(塩。しょうゆ、酒、米あめ。サラダ油)
    • かぶのサラダ(塩と昆布でもんだかぶ。茹でたかぶの葉。オリーブオイル、ゆずこしょう、ポン酢)
    • 大根の味噌汁
    • 玄米ごはん
    • ビール、雑酒、チューハイ