ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

「アートで候。 会田誠・山口晃展」

一昨日、上野の森美術館でこの展覧会を見たのであった(19日まで)。
http://www.ueno-mori.org/special/aida_yamaguchi/index.html
先日、東京都現代美術館マルレーネ・デュマス展を見た時、常設展にも回り、会田誠の「スペース・ウンコ」、「美しい旗(戦争画RETURNS)」などを鑑賞したばかり。前者は、大画面にウンコがめいっぱい描かれているそのヴォリューム感に圧倒されたのだが、幸いにも宇宙に浮かんでいる設定であり、真空だから臭わないはずだよね、というのが救いであった(←なに言ってんだ、オレ)。
今回の「アートで候。」でも、会田の大画面の迫力を味わった。真っ裸の少女たちがミキサーに入れられて体を砕かれ、下のほうの水が血で赤く濁っている「ジューサーミキサー」。これなど、縮小された図版で見るなら「少女のジュースを飲もうかね、へっへっへ」と変態ぶる余裕があるが、オリジナルの大画面で見ると、あまりの“大虐殺”ぶりに腰が引けてしまう。もともと、この2つの反応の両方を引き出そうとして描かれた作品だと思うが……。


会田誠は、戦時中の戦争記録画みたいな絵に、アニメ的な攻撃場面(「紐育空爆の図」)や、現代の女子高生(「美しい旗」)を挿入することを、持ちネタの一つにしてきた。一方、山口晃は、大和絵的に描かれた武士の合戦にオートバイやヘルメットを紛れ込ませたり(「當世おばか合戦」)、江戸庶民の暮らしにネクタイの男を忍ませたり(「何かを造ル圖」)するのが可笑しい。2人とも、マンガ・アニメ的、オタク的な感性と旧い絵画手法を組み合わせ、現在と過去をマッシュ・アップしているところに共通性がある。
一方、『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいな、昭和ノスタルジーの流れは根強い。会田、山口が取り上げる過去は、一般的にノスタルジーの対象となっている昭和30年代あたりとは違う時代が選ばれてはいる。それでは、過去とほどよく戯れるノスタルジーの風潮に対して、会田、山口の作品は批評的に機能しているのか、それとも同調しているのか。
微妙なところだと思う。例えば、会田自身の戦争記録画への注目には、批評的動機があっただろう。しかし、それを面白がる鑑賞者のなかに、ただのウヨ的感性の持ち主で昔のニッポンはよかったなぁとほどよい湯加減のノスタルジーに浸る者もあるだろうから。
そういうことを思うと、複雑な気分になる。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20060106#p1

MONUMENT FOR NOTHING

MONUMENT FOR NOTHING

山口晃作品集

山口晃作品集

  • 16日夜の献立
    • 鯨肉のしょうが焼き(にんにく、しょうゆ、酒、もち米あめ。米油、にんにく。白髪ねぎ)
    • 新玉ねぎスライス、板麩(梅酢)
    • 焼きうどん(米油、キャベツ、豚肉、しょうが、おこのみソース。かつぶし、青のり)