ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

映画『東京少女』

東京少女 (リンダブックス)
現代の高校生・未歩(夏帆)の落としたケータイ電話が、なぜか明治時代の時次郎(佐野和真)の手にわたる。作家志望という共通点を持つ若い2人は、戸惑いギクシャクしながらも、会話するようになっていく。そして、ケータイで話しながら銀座界隈で時を超えたデートを楽しむほど、気持ちが通い始める。しかし……。
手紙を通じて「自分」のなかのズレを描いたのが『東京少年』だったのに対し、『東京少女』では時空を超えた「他者」との接近、シンクロがケータイを用いて語られる。「自他」といういかにも青春らしいテーマを、パーソナル・メディアを重要な小道具にしてドラマ化した点で、『東京少年』、『東京少女』は対になっている。


新海誠監督『ほしのこえasin:B000I2JEA2の場合、戦争に参加するため遠い宇宙に旅立った少女と、地球に残った少年が、ケータイメールで交信し続けるものの次第に時間差が大きくなり、気持ちもズレ始める話だった。「自他」のズレ/シンクロの問題をパーソナル・メディアに引きつけて物語化したことでは、『ほしのこえ』と『東京少年』&『東京少女』は共通している。
オタク的想像力で作られたアニメ『ほしのこえ』のテーマを、かつてのNHK少年ドラマシリーズのような正統派ジュブナイルSFのスタイルでやり直したのが、『東京少年』&『東京少女』という風にもみえる(ジュブナイル作品としての完成度は『東京少年』より『東京少女』のほうが上だろう)。
また、作中で主要人物の周辺しか描かれないという、物語の“狭さ”でも、『ほしのこえ』と『東京少年』&『東京少女』は近い。


楳図かずおの傑作SFマンガ『漂流教室asin:4091814980には、未来に行ってしまった息子の危機を察知した母親が、武器になるものを用意して現代から未来に届けるエピソードがあった。この種の時代を越えた贈与のエピソードは『東京少女』にもみられるわけだし、同作は時間SFとしては定型的である。
また、万城目学『ホルモー六景』asin:4048738143に収録された短編「長持の恋」は、バイト先の古い長持にあった板切れに文字を書くことで、戦国時代の少年と“文通”する女の子の話だった。「長持の恋」と『東京少女』は、生きる時代の違う少年と少女がシンクロする物語として、同型といえる。2作とも、過去の少年にどんな悲劇が訪れるか知った少女が、それを知らせて彼を助けようとする。しかし、いずれの少年も、危機を知りつつ、あえて自分から運命を受け入れる展開になる。この点でも「長持の恋」と『東京少女』は共通している。


作中に登場するのが、ただの板切れなのか、手紙かケータイかは、さほど重要な違いではない。いずれにしろ、「自他」のズレ/シンクロのテーマを物語るうえで、パーソナル・メディアは使い勝手のいい小道具になるということ。(つづく。たぶん)