ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

イーノのヴォーカル

ブライアン・イーノの初期アルバム4枚が、紙ジャケで再発された。彼がまだソロ・“ヴォーカリスト”だった時期の作品である。
イーノのプロデュース作なら、ディーヴォ《退廃的美学論》のニュアンスに富んだ音作りがいい。アンビエントものなら、《オン・ランド》のちょっとオドロオドロしいトーンがお気に入りだった。でも、イーノについては、まずヴォーカリストとしての彼が好きだった。
元いたバンド、ロキシー・ミュージックの影を引きずったソロ第1作《ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ》のいかにもグラムなギラギラしたサウンド(〈ベイビーズ・オン・ファイヤー〉のギター・ソロは、ロバート・フリップによるゲスト参加ゆえのやりたい放題弾きまくり路線のなかでは、デヴィッド・ボウイスケアリー・モンスターズ〉に匹敵する弾けかた)。また、ヴォーカルものを主体にしつつもアンビエントへの傾斜がみられる《アナザー・グリーン・ワールド》、《ビフォア・アンド・アフター・サイエンス》。−−イーノの初期ヴォーカル・アルバムは、どれもレベルが高い。
でも、ソロ歌手としてのイーノの個性を楽しもうとするなら、ソロ第2作《テイキング・タイガー・マウンテン》が最も適していると思う。前作にあった野放図な発声は多少抑えられ、歌いかたはやや落ち着いている。でも、だからかえって、イーノ特有の普通じゃない感じが、よく聞き取れる。肉体性とかパッションとか、そんな単純な響きかたをしないのだ、彼のヴォーカルは。どこか世界全体を小ばかにしたみたいな微妙なニュアンスのある歌いかたには、浮遊感がある。いったん、肉体やパッションの外に自分を置いてそこから歌っているかのような。
そうした異界めいた感覚は、もちろんバック・トラックからの印象も大きい。奇妙な音色がたくさん織り込まれたサウンドは、当時のロック、ポップスの音構成とはちょっと異なる遠近感を描いていた。歌の異界感覚とトラックの異界感覚が、相乗効果を上げていたのだ。しかし、遠近感の歪んだサウンドという一種の実験を行いながらも、全体としては親しみやすい歌ものとして成立していたのが、この時期のイーノのすごいところ。これに匹敵する芸当をやったのは、《1999》から《サイン・オブ・ザ・タイムス》あたりの全盛期のプリンスくらいしか思い浮かばない。クラシック寄りの資質を持つイーノとブラック・ミュージックのプリンスでは、まるでフィールドが違う。けれど、テクノ系のスタジオ魔術によって、ロック/ポップのサウンドの遠近法に関する先入観を壊した点では共通する。他のアーティストやプロデューサーに与えたインパクトの質に関しては、2人の存在の仕方は意外と似ていたと考えられる。
そういえば、(ふと気づくとこの「雑記帖」では、そういえば、と書くことが多いな。ま、いっか。そういえば……って思いつきをお気楽に書くのが“雑記”なわけだから)《テイキング・タイガー・マウンテン》の〈サード・アンクル〉をレパートリーにしていたバウハウスの一連の作品も、紙ジャケ再発になったのだった。僕の場合、《テイキング〜》でのフェイヴァリットは、〈グレート・プリテンダー〉とかである。
あと、イーノの初期ヴォーカルについては、ロキシーの元同僚、フィル・マンザネラの関連作品でのゲスト・ヴォーカルもいい。特に《801ライヴ》でのビートルズ〈TNK(トゥモロー・ネヴァー・ノウズ)〉のカヴァーと(リンゴ・スターよりはるかに音数多く叩いてますと言いたげな、サイモン・フィリップスのドラムがすごい)、ザ・キンクス〈ユー・リアリー・ガット・ミー〉のヴァン・ヘイレンとはまるで解釈の違うカヴァー(イーノの世界を微妙に小ばかにしたニュアンスが全開)は、とにかく出色だ。
もし暇があるなら、外部への参加も含めたイーノのヴォーカル・ベストをMDに編集したいところなんだけど。