ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

椹木野衣『戦争と万博』

戦争と万博
刺激的な「大阪万博=エキスポ’70」論。
博覧会と植民地の関係性は、よく指摘されるところ。椹木は大阪万博が、傀儡国家「満州国」の理想主義の後継としてあったことを指摘しつつ、前衛芸術家たちが〔たがいの主義主張のちがいを留保して大同団結し、国家の打ち出すプロパガンダに乗って予算を与えられた〕この巨大プロジェクトが、一種の「戦争」だったとみる。そして、アートをめぐる「国策」の歴史を次のように総括するのだ。

一度目は「戦争記録画」、二度目は「万博芸術」、三度目は「ジャパニメーション」だ。しかも三者は、たがいに交換可能ですらあるだろう。万博芸術は一種の戦争記録画であり、万博の廃墟はジャパニメーションを引き寄せ、ジャパニメーションはかたちを変えた戦争記録画にほかならないのだから。

これは、大阪万博とオタク・カルチャーとの比較で仕事をしてきた森川嘉一郎(『趣都の誕生』〜『おたく:人格=空間=都市』)への批判としても機能する解釈である。森川は椹木が指摘する種類のナショナリズムに対し、無防備に思える。(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050312
けれど、僕が『戦争と万博』を読んで連想したのは、森川のこと以上に、大塚英志仲俣暁生id:solarだったりする。
『戦争と万博』では、見返し部分に原爆のきのこ雲がデザインされている。この評論は、第二次大戦中の日本への爆撃後――というアングルを設定することで、この国におけるリアリティの質感・水準を読み取ろうとしている。いったん焼け野原を通過してしまった、いつでも廃墟に戻りうる土地における空虚なリアリティをいかにとらえるか、という問題。そして、大塚『アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題』ISBN:4198616744、仲俣『極西文学論』もまた、爆撃、戦争というアングルを導入することで、この国のリアリティを推し量ろうとする試みではなかったか。
椹木は『日本・現代・美術』、『「爆心地」の芸術』などでも万博に触れていたが、『戦争と万博』と直接姉妹編的な位置にあるのは、『黒い太陽と赤いカニ 岡本太郎の日本』ISBN:4120034712(刊行は2003年12月だが、雑誌掲載期間は02〜03年で『戦争と万博』と同時期)。岡本太郎は、大阪万博のシンボルゾーンのお祭り広場(丹下健三プロデュース。具体的設計計画に磯崎新参画)に、「太陽の塔」をデザインしたことで有名。『黒い太陽と赤いカニ』は、そんな岡本を対象にした芸術論だが、同時に遠回しな漫画論としても読めそうだ。
椹木は岡本に関し、ともにヘーゲルから影響を受けた者として、コジェーヴとの親近性を指摘する。そのうえで、コジェーヴが賞賛した類の日本(スノビズムが徹底した空間)に対し、岡本が違和感を抱いていたと解釈する。コジェーヴは、東浩紀が『動物化するポストモダンISBN:4061495755動物化したオタク」という立論をする時に参照した思想家(東はスノビズム後の時代精神を「動物化」と呼んだ)。したがって、椹木がことさらコジェーヴに言及したのは、本のなかで直接論じていなくても、最近のオタク・カルチャーを意識してのことだったと推察できる。
(追記:もちろん、柄谷行人がスターだった昔から、コジェーヴに言及した評論は書かれてきた。だが、「スーパーフラット」をめぐって椹木と東が接近していたこと、『黒い太陽と〜』における漫画への言及を視野に入れると、『動物化するポストモダン』の議論を意識していたと考えられるのだ)
『黒い太陽と赤いカニ』では、漫画家だった父・岡本一平から芸術家・岡本太郎が、ギャグ漫画的感覚を受け継いだと語られる。そうした笑いの感覚を太郎が継承したのは、「敗戦後の日本の焦土」を経験してから、戦後3年目の1948年に父の死を迎える頃までの時期だったと、椹木は分析する。このことは、大塚英志が『アトムの命題』において、手塚治虫の戦時中の習作「勝利の日まで」(1944年あるいは45年の作とされる)に着目していたのと微妙に響きあっていて興味深い。この習作では、ミッキーマウスの操縦する爆撃機に日本の少年が機銃掃射される場面が描かれており、そこに大塚は後の手塚的なものの萌芽を読み取っている。椹木、大塚が、それぞれの批評対象に読み込んだのは、大雑把にざっくりいってしまえば、作品における複数のリアリティの共存だった(芸術と漫画。科学的リアリズムと記号化)。
一方、仲俣暁生も『極西文学論』で、上空からの視線、爆撃するがわの視線を俎上にのせており、視線の複数化、すなわち複数のリアリティ水準を問題にしていた。また、椹木が万博を「戦争」と呼んだように、仲俣も『ポスト・ムラカミの日本文学』ISBN:4255001618、80〜90年代を経済をめぐる「日米戦争」と把握し記述していた。というわけで、3人の論点の交差ぶりを興味深く感じたのだった。