ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

若林幹夫『郊外の社会学 現代を生きる形』

郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)
東浩紀北田暁大『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズムasin:4140910747が、サブカルチャー、広告、ヴァーチャル・リアリティなどイメージの問題に多くのページを割いていたのに対し、若林幹夫の『郊外の社会学』は、住まい、暮らしの場としての郊外を描き出すことに力を入れている。
郊外に関しては、「均質」という形容が安易に持ち出されがちだ。しかし、若林は、「均質」で「同質」に思える郊外のなかにも、開発時期の違いなどにより非均質性、重層性が含まれているという。そのうえで展開される分析は、「郊外論」論にもなっていて、見方の冷静さに好感が持てる。
指摘のなかでは、「白い郊外」、「青い郊外」ということも述べられる。これは、ホワイトカラーが多く住む地域、ブルーカラーが多く住む地域といった意味。
僕は、若林がつくばエクスプレス(TX)沿線の風景について考察する過程で、こう書いていることに興味を持った。

なお、TXに乗っているとあまりよくはわからないが、常磐線隅田川沿いの首都高速道路6号線からは、南千住駅の東側に大規模な高層マンション群が開発されているのがみえる。そこでは南千住という古い時期に東京の〝青い郊外〟となった場所に、おそらくより〝白み〟がかった新しい郊外化の層が積み重なろうとしているのだ。

このように、新旧、青白が入り混じっていく流れは、千住付近には以前からあったものだ。それについてよく物語っていたのが、宮部みゆき『理由』asin:4101369232だろう。この小説は、千葉県浦安市の住民が、千住のマンションの競売にかけられた一室を買い受け、トラブルに巻き込まれる話だった。
浦安は、『郊外の社会学』で「青い郊外」とされている江戸川区と川を挟んで隣りあっている。浦安市のうち、昔、漁師町だった元町地域は、基本的に「青い郊外」といっていい。これに対し、マリナーゼが棲息する埋め立ての新町地域は、「白い郊外」である。
そして、『理由』の買受人は「青い」元町のほうに住んでおり(今の僕の住処でもある)、そこから千住を目指す。彼が〝真っ白〟ではなく、〝青白まだら〟な場所を目指したあたりが、いかにも庶民による精一杯の背伸びであり、切ない。
(関連論考http://www.so-net.ne.jp/e-novels/tokusyu/m004-1/myhome.html


若林は郊外を「立場なき場所」と呼ぶ。
そこは、歴史や伝統、共同体など、「あるべきものがもはやない場所」。同時に、都市では望めない理想の居住空間が投影されるという意味では、「いまだない良きものが到来すべき場所」でもあるという。

それはすでに失われていることと、いまだ存在しないこととの間の場所である。

若林のこの定義は適確だろうし、『理由』と同種の切なさが感じられる文章だとも思う。

  • 24日昼の献立
    • 焼きスパ(豚肉、なす、ピーマン、長ネギ。サラダ油、オイスターソース、しょうゆ、ラー油、ごま油、こしょう)
    • トマトジュース
  • 24日夜の献立
    • あじの開き
    • しいたけステーキ(オリーブオイル、にんにく、ハーブ塩、こしょう、しょうゆ)
    • ほうれん草のおひたし(かつぶし、ポン酢)
    • 大根とひじきのきんぴら
    • じゃがいも、にんじん、玉ねぎの味噌汁
    • 玄米ごはんにしそと梅酢まぜまぜ