(小説系雑誌つまみ食い 20――「ダ・ヴィンチ」7月号。ついでに「PLANETS」VOL.3)
「ダ・ヴィンチ」最新号の第二特集は、「最近売れてるらしいけど……ケータイ小説ってどうなの?」という企画。
そのなかで「若者がケータイ小説にハマる理由」をテーマに17歳、18歳の女子4人が、顔出ししてバカ丸出しの座談会をやっている(取材・文/田中裕)。そして、登場人物が死ぬということで、ケータイ小説の大ヒット作『恋空〜切ナイ恋物語〜』asin:4883810453と『世界の中心で、愛をさけぶ』asin:409408097Xの比較になるのだが……。
――『セカチュー』もやっぱりヒロインが死んじゃうでしょう? あれはどうなの?
中島:私はそれなりに感動したけど……ただ、『セカチュー』って、なんていうか「昔」の話なんだよね。ところどころわからない描写があったし……今っぽくないなあって。
柳沢:うん、やっぱり「現実的」じゃないんだと思う。リアルかどうかって大事だよね?
一同:うん。
それでは、柳沢女史の考えるリアルとは、どのようなものなのであろうか。
出会い系とかレイプとか、ちょっとグロい現実の話が、もしかしたら近くであるのかもって思うところにリアリティがあるんだと思う。
リアルっていうのは、私は知らないんだけど、となりのお姉さんはよく知ってる、みたいな? ホストやキャバクラが出てくるような作品には現実感があると思うし、興味もある。
柳沢女史にとってのリアルとは、『セカチュー』よりも飯島愛『プラトニック・セックス』asin:4094023968に近い世界といえましょうか。とっととキャバクラに勤めて、ホストに貢いであげてください。
一方、「SFマガジン」ASIN:B000QUCUKW「ゼロ年代の想像力」で話題沸騰の宇野常寛が主宰する第二次惑星開発委員会編「PLANETS」VOL.03に、ケータイ小説に関する言及がある。
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p3.html
宇野常寛と更科修一郎の巻末対談「流動性に怯えず立ち向かえ! 中年化する批評への死刑宣告」における一節。宇野は、彼のいう00年代のパワーゲーム/バトルロワイヤルasin:4872334523状況を説明する文脈で、こんなことを語っていた。
つまり『セカチュー』に夢中なF1層や『恋空』に夢中な女子高生を、セカイ系や泣きゲーで「可哀想なアニメ美少女」を消費して喜んでいたオタクたちが軽蔑する、といったことが普通に起こっていた。逆もまたしかりです。
なるほど。たぶん、先の柳沢女史なら、「可哀想なアニメ美少女」なんてリアルじゃないとのたまうでしょうし、自分たちを軽蔑するオタクたちには「キモ」と思うだけでしょう。
こうしたバトロワ状況(=目くそ鼻くその戦い)には、げんなりします。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20070510#p1)