ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

再び『クリアネス』、村上龍、Yoshi

http://d.hatena.ne.jp/ending/20080305#p1のつづき

『クリアネス』と酒鬼薔薇聖斗

自らを「透明な存在であるボク」と形容した酒鬼薔薇聖斗(当時14歳)が97年に起こした殺人事件から10年後。2007年に刊行された十和『クリアネス』には「限りなく透明な恋の物語」というサブタイトルがつけられ、ヒロインの恋人は「ぼくは、透明人間になりたい」と記していたのだった。
もう1人の自分を夢想する時(多重人格風な、心が乖離した傾向)に、「透明」というピュアそうなイメージを付与することは、どこか心地いいらしい。

「限りなく透明な恋の物語」と『限りなく透明に近いブルー

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
「限りなく透明な恋の物語」というサブタイトルは、もちろん、村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』(76年)のもじりだろう。売春と出張ホストの物語である『クリアネス』に対し、ドラッグを用いた乱交パーティを描いたのが『限りなく透明に近いブルー』だった。後者では、主人公が、自分を含めて周囲の人々や風景、幻覚をカメラのように“ただ見る”様子が記されており、本来の自分とカメラと化した自分が乖離している状態があった。その乖離に、「透明」のイメージが重ねあわされていた。
ただし、『限りなく透明に近いブルー』では、若者たちがなぜ乱交するのか、その動機を書こうしていなかったのに対し、『クリアネス』では出張ホストのレオについて、親や成育環境という昔ながらの理由づけを持ち出していた。その点、発表年代に30年近い開きがあるというのに、『限りなく透明に近いブルー』より『クリアネス』のほうが古めかしく感じられる。

Yoshiと小室哲哉

Deep Love―アユの物語 完全版
本田透は『なぜケータイ小説は売れるのか』asin:4797344024において、ケータイ小説ヒストリーを分析している。そこでは、援助交際する女子高生の話にオヤジ流の説教が地の文に挿入されるYoshi『Deep Love』がまずヒットし、以後、若い女性たち自らが説教抜きで自分たちの物語を綴り始める段階(Chaco『天使がくれたもの』、美嘉『恋空』、メイ『赤い糸』)に移った――という変遷が論じられている。
これは、安室奈美恵など若い女性シンガーたちに対し、小室哲哉がいかにもな詞(96年の安室〈SWEET19 BLUES〉の「部屋で電話を待つよりも 歩いてる時に誰かベルを鳴らして」とか)をあてていた段階から、若い女性本人である浜崎あゆみの詞がカラオケ画面上のベストセラーとなった時代への推移と同様だったかもしれない。
『Deep Love』第1部は「アユの物語」と題されていたが、実はTKの物語だったわけだ。
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20070919#p1

『Deep Love』と『ラブ&ポップ

『Deep Love』は女子高生が真の愛に目覚め、援助交際をやめる話をオヤジの説教交じりで書いていた。一方、それに先行する村上龍ラブ&ポップasin:4877285490(96年)は、女子高生が説教されて援助交際をやめる話だった。龍は98年には、『夢見るころを過ぎれば』という女子高生51人のインタヴュー集を刊行したし、彼女たちの理解者を気どっていた時期がある。こうしてふりかえると、龍がやろうとしたことを、もう少し上手くやり直したのがYoshiだったのではないかと思えてくる。この意味では、『ラブ&ポップ』は、ケータイ小説の先行作品的な位置にあったし、龍の保守化を決定づけた小説でもあった。
そして、庵野秀明が『新世紀エヴァンゲリオン』の次の作品として、初めて実写で監督したのが、映画版『ラブ&ポップ』(98年)だった。このことは、オタク・カルチャーとケータイ小説の距離を考えるとなかなか興味深い。例えば、庵野がもし、映画版『クリアネス』を監督していたらどうなっていたんだろう、とふと思ったりする。
ラブ&ポップ SR版 [DVD]
(関連雑記http://d.hatena.ne.jp/ending/20050627#p1